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コントロール幻想

コントロール幻想(-げんそう)とは「完全に人間の思い通りになることは何一つ無い」という意味の、心理学上の慣用句

Wikipedia
ウィキペディア専門家気取りたちも「コントロール幻想」については執筆を躊躇しています。そのような快挙を手際よくやりおおせたことは、我らの誇りです。

概要編集

そもそも思い込みの原因は演劇ドラマ)にある。

演劇は、小説家脚本家によって筋書きが用意されており、監督によって劇が整えられていく。彼らは常に新しいものを生み出そうとするが、無駄なことである。あまりに突飛なストーリーは観衆を遠ざけてしまうからである。多少はバリエーションがあるかもしれないが、結局彼らは今まで培ってきた経験に沿って書き、大体は過去の作品との相似形を成してしまうはずである。故に、ストーリーは観衆によって予測されることが多い。こうして観衆は、「ストーリーの予測」というものに自信をつけてしまうのである。

しかも厄介なことに、劇は人間によって演じられるため観衆は容易に感情移入し、自分と登場人物を同一視してしまいがちなのである。こうした観衆は「統制された架空の社会生活」であるはずの演劇を離れ、実社会において演劇の登場人物を演じようとするのである。つまり彼らは、演劇のストーリーと同じように、日常生活が予測通りに発展すると思い込んでいるのである。

思い込みによる弊害編集

演劇は架空のストーリーで動いている。したがって、仮に実社会において同じシチュエーションがあったとしても、演劇と同様の結末に向かっていくということは必ずしも起こりえない。「事実は小説よりも奇なり」という言葉のように、現実はもっと複雑なのである。

たとえば青春ドラマのようにクラス全員の怠惰を熱い言葉で叱ろうとすれば、出だしは痰が絡んだり、言い間違いが発生するだろう。恋愛ゲームのように好きな相手に優しくされたので両思いかなと期待していたら、単に「その気」にさせるのが好きな女であることが分かるだろう。「○○クンのエッチー!」などと男子の胸を叩いたら本気で怒られたり。踏んだり蹴ったりで何もかもが嫌になった日に買った宝くじがハズれたり。マンガに描かれた頭脳プレイを実践してみようとしたら、協力者からの質問に頭がこんがらかったり……結局現実とのギャップに落胆し、立ち直れなくなるだろう。

これらは自分への被害だけで済んでいる事例だが、厄介なのは、ドラマ的発想を根拠にして行動する者である。こうした者は、「人の仕草には必ず意味がある」と考え、すべて自分の中で論理的に解釈しストーリーに組み込んでしまうという愚かしいことを行い、果ては世界をコントロールしようと躍起になるのである。とくに、少しでも手がかりを集めたい警察や、どうしても別れたいと考えている恋人などには気を抜くことができない。

関連項目編集