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ブンガチャ節

柿.jpg 下ネタ記事執筆コンテスト2010

ブンガチャ節(~ぶし)、別名「キュッキュラキュ節」とは、日本の歌謡史にその名を残す大歌手、北島三郎のデビュー曲にして、発売直後に放送禁止となった曰く付きの歌である。なお、本作の作詞星野哲郎作曲船村徹となっているが、元が夜の盛り場で歌い継がれていた歌であるため、まったくアテにはならない。

あわせて、日本の歌謡曲の歴史において最も早い時期に宇宙旅行について歌った歌である。

北島三郎のデビュー曲が。宇宙旅行を。

目次

発表されるまでのいきさつ編集

18の年に高校を中退して北海道から東京へ渡った北島三郎が、盛り場で流しの歌手をしながら糊口をしのぎ、苦難の末にコロムビアレコードからデビューを果たしたのが1962年、26歳の夏のことだった。すでに妻帯し、子供までいた。けれど、当時の芸能界では家庭を持ちながらデビューするなんてのは親不孝以外の何物でもなかったため、プロフィール上では独り身ということになっている。

もっとも、デビュー曲である「ブンガチャ節」が男女の情景を歌った歌詞である以上、独り身ということでなければ、到底この歌を歌ってはいけないことも確かだった。いつの世でも嫁さん、もしくは旦那がいる歌手にを歌われたところで、聞いてるほうはどう反応していいか分からない。それは昭和だろうと平成だろうと特に変わりはない。

歌の内容編集

流し出身の北島が、確実に、100%絶対に歌い慣れていたに決まっていたことも、デビュー曲にブンガチャ節が選ばれた一つの要因と思われる。というのも、ブンガチャ節自体、盛り場発祥の歌であり、とともにある歌であったため、なるべく酔客も楽しめるよう、歌の合間に合間になるべく客の興味を浴びるようなしかけがほどこしてあるため、初めて聞いた客の心を掴みやすい構成になっていた。中でも、「キュッキュキューキュッキュキュー」「ブンガチャッチャブンガチャッチャ」という珍妙な合いの手は、夜の酒場でも宴会場でも十分に周囲の耳目を集める効果があり、流し一本で妻と子供たちを養っていかざるを得なかった北島にとって好む好まざるに関わらず、絶対に歌わなければいけない歌の一つであった。ちなみに、当時の相場は3曲100円。ラーメン1杯50円の世界。これで親子3人を食わせていかざるをえないってんだから、そりゃあメジャーデビューにをかけるのも当然であり、妻がいるいない程度の嘘などは歯牙にもかけないレベルの話であった。

あわせて、ブンガチャ節の歌詞の内容は、普通に男女の情景を描いたものであり、歌の最後にはなんと月旅行まで歌っている。アメリカがアポロ計画において人類の月面着陸を目指すことを宣言した翌年に、早くも日本の歌謡曲がそのことを歌詞に入れているのだから、普通に流行の最先端である。

ところが。

なんと、ブンガチャ節は発売からわずか一週間で放送禁止になってしまい、北島三郎はどこの放送局でも門前払いとなってしまう。その原因として「キュッキュキューキュッキュキュー」の合いの手がベッドの軋みを想像させるからとかなんとか言う話で放送禁止とされたといわれている。実際、北島本人も実際にそう語っている。しかし、元が盛り場の歌い継がれた曲である以上、そんなわけがない。もっと根本的な何かがあるはずである。

歌詞編集

あの子いい子だこっち向いておくれ
キュッキュキューキュッキュキュー
すねて横向きゃなおかわいい
ブンガチャッチャブンガチャッチャ
恋の病にお医者を呼んで
キュッキュキューキュッキュキュー
氷枕で風邪引いた
ブンガチャッチャブンガチャッチャ

(中略)

人は会わなきゃ冷めるというが
キュッキュキューキュッキュキュー
俺は会わなきゃなお燃える
ブンガチャッチャブンガチャッチャ

それではお聞きください編集

やはり、こういった謎は実際に聞いてみなければ分かるわけがない。というわけで、ユーチューブのリンクで、実際の歌を確認することにしよう。

あ、レコード掛け間違った編集

・・・というわけで皆さん、記憶を消してください

結論編集

なぜ、この歌が放送禁止になったのか、まったく理解できませんね。

そうですよね

よね

夫婦愛編集

あわせて、この頃の逸話として、デビュー直後、売れてなかった北島がコンサートで歌っていると、会場の暗がりのそこかしこから「サブちゃーん!」の掛け声とともに紙テープが飛んでくるといった話がある。別に売れてもないはずなのに、こんなに掛け声がとび、紙テープが投げられるのはおかしいと、ステージ上から目を凝らすと、プロフィール上ではいないはずの奥さんが、会場を駆けずり回りながら声援を送り紙テープを投げていた。

絶対に妻とは別れません」とは本人の談である。

関連項目編集