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レット・イット・ビー...ネイキッド

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レット・イット・ビー...ネイキッド(Let It Be... Naked)とは、「あるがままに裸になろう」をスローガンにビートルズが提唱したヌーディスト運動である。

目次

ゲット・バック・セッション編集

ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「ゲット・バック・セッション」の項目を執筆しています。

『レット・イット・ビー...ネイキッド』運動の始まりはビートルズのメンバーであるポール・マッカートニーが『ザ・ビートルズ(ホワイトアルバム)』の頃からバンドの結束が無くなったのを見かねて、「ビートルズを結成した時に戻ろうではないか(ゲット・バック)」と提案した事から始まった。その提案を受けたジョン・レノン1968年オノ・ヨーコと作成したアルバム『トゥー・ヴァージンズ』のジャケットで全裸になったことによって、世界中の包茎男と垂れ女に希望を与えたと賞賛されて調子に乗っていたことから、「どうせ原点に戻るんだったら、生まれたままの姿でアルバムをレコーディングして、これをドキュメンタリー映画『レット・イット・ビー...ネイキッド』として発表したら良いのではないか」と逆提案した。そして1969年1月2日からトゥイッケナム・フィルム・スタジオにおいて全裸でレコーディングを開始した。

ルーフトップ・コンサート編集

ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「ルーフトップ・コンサート」の項目を執筆しています。

しかし、ホモではないムサイ男どもが全裸でレコーディングするのは精神的に無理があったし、たまにジョン・レノンがオノ・ヨーコをレコーディングスタジオに連れ込んで全裸でイチャイチャすることに他のメンバーはうんざりしていた。その為に、1月10日ジョージ・ハリスンが一時失踪する事もあった。その後、メンバーの間で全裸で話し合いを行った結果、レコーディングが終わったらアップルビルの屋上(ルーフトップ)でヌーディスト・コンサートを開くことを決定した。その後は喧嘩も失踪もなくレコーディングは全裸で順調に進んでいった。そのドサクサに全裸のメンバー(ビリー・プレストン)が一人増えていた(単なるサポートメンバーである)。

そして、1月30日アップルビルの屋上でヌーディスト・コンサートを開始した。その日は最高気温が2度という寒い日だったが、ビートルズのメンバーも観客もみんな全裸姿でコンサートを強行した。1966年にライブ活動を停止したビートルズがヌーディスト・コンサートをすると聞きつけた野次馬どもが近くの道路やビルの屋上に駆けつけたが、全裸姿でない者はみんな追い返された。

しばらくすると全裸姿の警察がアップルビルの屋上に駆けつけたが、警察は演奏を中止させただけで逮捕もせずに帰って行った。のちにメンバーの一人は「警察官に逮捕された所で終わったらウケたのに、ガッカリだ」と語っている。

レット・イット・ビー編集

ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「レット・イット・ビー」の項目を執筆しています。

ルーフトップ・コンサートでは一人の逮捕者も出なかったものの、警察の手入れがあったことは所属レコード会社のアップル・レコードに大きな衝撃を与えた。そのため、ドキュメンタリー映画『レット・イット・ビー...ネイキッド』はお蔵入りになった。しかし、ビートルズが解散した後に、酒の席でジョン・レノンが大物プロデューサーのフィル・スペクターに「『レット・イット・ビー...ネイキッド』の未発表フィルムがあるから使っても良いよ」と口約束をしてしまった。この言葉を真に受けたフィル・スペクターは『レット・イット・ビー...ネイキッド』に最新鋭のアニメーション技術を使い派手な洋服や装飾品を飾り付け、本来の目的である「あるがままに裸になろう」のスローガンを無視した『レット・イット・ビー』を発表した。この事については、ジョン・レノンは言った手前文句は言えなかった。ただ、ポール・マッカートニーは「僕のお気に入りの『ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード』に悪趣味な服を着せて、絶対に許せない」と本気で怒っていた。

レット・イット・ビー...ネイキッド編集

ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「レット・イット・ビー...ネイキッド」の項目を執筆しています。

その後は、本来の意味での『レット・イット・ビー...ネイキッド』運動は完全に忘れられていたが、2003年2月にフィル・スペクターが殺人容疑で逮捕(2008年現在は仮保釈中)されたことにより、邪魔者がいなくなったポール・マッカートニーはビートルズの元メンバーとオノ・ヨーコに半ば強引に働きかけて『レット・イット・ビー...ネイキッド』運動を再開した。その集大成として11月にはフィル・スペクターの追加した洋服や装飾品を全てなかったことにした、ドキュメンタリー映画『レット・イット・ビー...ネイキッド』を発売した。

ところが、日本を含む一部地域で発売されるバージョンは、悪名高きCCCD技術により、あそこにモザイクをかけられた上に全裸姿に細かいノイズが付いた粗悪品になる事が明らかになった。その事から発売前からビートルマニアと良心ある音楽評論家から「『レット・イット・ビー...ネイキッド』をCCCD盤で出すのは、ありのままに裸になろうのスローガンを無視した冒涜だ」との苦情が発売元の東芝EMIに殺到した。そして、日本盤が発売された11月14日には全国のCDショップに全裸のビートルマニアが集結して『レット・イット・ビー...ネイキッド』運動を開始し、全裸姿でビートルズの曲を合唱した。その運動は17日以降にイギリスアメリカで発売されたCCCDでない輸入盤が全国のCDショップに到着するまで続いた。そのおかげで『レット・イット・ビー...ネイキッド』はオリコンのアルバムチャートでは、中島美嘉のアルバムの2週目に負けて初登場及び最高位2位になった。

日本盤がCCCD盤になった事によって、皮肉にも『レット・イット・ビー...ネイキッド』運動が本家のイギリスやアメリカよりも日本で活発になり、日本において初めてヌーディスト運動が世間一般に認知された事は特筆すべきである。

関連項目編集

  • SMAP - 2000年にシングルCD『Let It Be』を発売した。メンバー全員が全裸姿のCDジャケットは当然お蔵入りになった。
  • ジュエルズ - これにも懲りずに東芝EMIはクイーンのベストアルバムをCCCD盤で出した(日本独自の編集盤であるため、CDである輸入盤は存在しない)。当然メンバーのブライアン・メイは全裸で抗議した。が、忘れた頃にひっそりと通常のCDに差し換え再発売されている。