二八蕎麦
江戸っ子と言えば二八蕎麦(にはちそば)である[不要出典]。
概要編集
これぞお江戸の風物詩。
江戸時代中期から江戸に普及[1]した蕎麦食文化の代名詞として知られる二八蕎麦であるが、その命名、なぜ「二八」なのかについては諸説あるものの、みんなどうでもいいと思っていたために今日まで放置されてきたのであった。
諸説編集
- 小麦粉二割に蕎麦粉八割で打った生地だから
- もっとも一般的な説。蕎麦粉は粘性が低くつながりにくい上に食感も悪い[2]ため、生地のつなぎおよび食感(主に喉越し。江戸の蕎麦は手繰り込む[3]のが一番[不要出典]である)を向上させるために二割の小麦粉を混ぜ込んだと言われているが、ありきたりでつまらない上、それならなぜ「八二蕎麦」じゃないのかという疑問も残る。
- 蕎麦粉二割に小麦粉八割(以下同文
- 大胆なる発想の転換……と賞賛したいところではあるが、これはもはや蕎麦ではなく、素麺とか冷麦に近い。やはり「蕎麦」と銘打つ以上、生地の五割以上は蕎麦粉であって欲しいと願うのが、真の蕎麦好きというもの[不要出典]である。
- 蕎麦の代金が十六文だったから
- 十六は二×八だから二八蕎麦、なるほど江戸っ子らしい洒落が利いているじゃないか……と高評価を与えたいところではあるものの、それなら「四四蕎麦(ししそば)」はなぜ存在しなかったのか(単に「死々」に通じて縁起が悪い、および語呂が悪いからではないかとされる)。幕末あたりなら「志士」に通じてもてはやされそうなものなのに。そして、物価相場の変動という経済における基本的概念を置き去りにしているあたり、残念ながら減点である。
- 茹で時間が八分だったから
- 当時の蕎麦は単にお湯で茹でるのではなく、下味をつけて「煮る」ものもあった。その時間が八分だから「煮八蕎麦」、書くのが面倒なので「二八蕎麦」、なるほど十画もはしょることが出来た。
- ファーストフード的観点より
- 別に用事はないものの、何かと気ぜわしい江戸っ子[不要出典]のこと、のんびり蕎麦を手繰るような野暮はしない。サッと食べてサッと立つ[4]には、やはり蕎麦の提供時間がモノを言う(筈である)。そこで店が「二分以上、八分未満で提供します」を謳い文句に売り出したのが、この二八蕎麦であるという説もある。が、席に座って立つまでが平均で三分~五分[不要出典]だった江戸っ子からすれば、それでも「遅い!」と感じてしまうものの、二分の壁を越えた蕎麦屋はいまだかつて見たことがない。