六法全書

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六法全書(ろっぽうぜんしょ)は、六人の詩人の作品を収録した詩集。

概要編集

1930年に岩波書店から、末川博編の『六法全書 事項索引及参照条文付』として出版されたのが六法全書の始まりであると言われている。収録されている作品数が膨大であることや、一部例外を除いて殆どの詩作が社会迎合的であり、頻繁に加筆・修正が繰り広げられていることから、見やすさ・新鮮さを合い言葉に、毎年、出版社のうちの数社が改訂・刷新をし、出版している。

憲法(けん ぽー)、民法(みん ぽー)、商法(しょう ほー)、刑法(けい ほー)、民事訴訟法(みんじ そしょう ほー)[1]刑事訴訟法(けいじ そしょう ほー)[2]ら、それぞれ短い散文形式での詩を書くことが特徴の六人の詩人による全作品を収録している。また、それぞれの別名義での作品も収録されており、代表的な物では、憲法は内閣法や国会法名義、民法は不動産登記法や借地借家法名義、商法は会社法、保険法、保険業法、手形法、小切手法名義、刑法は特別刑法名義、民事訴訟法は民事調停法、仲裁法、民事執行法、民事保全法、倒産法名義での作品も収録されている。それぞれ作風は異なるものの、彼らは共通して「法」という名前がついているため、ひとくくりにされて「六法」と呼ばれる事が多い。

作品の解釈について編集

それぞれの詩作は上述の通り短い散文形式を得意とする詩人が書いた物であるため、短く簡潔に書かれており、人によってどのようにも解釈することが出来、そして社会空気形成や人間関係に重大な影響を与える。そのため、多くの人々はこの集にある作品の解釈に頭を痛めている。特に学説(がく せつ)による解釈は古くから、社会の空気を形成する裁判に多大なる影響を与えている。

詩作の解釈・理解を得意とする者は限られている。得意とするには並の努力では得られず、寝食を惜しんで取り組むぐらいの気概で、死ぬほど努力しないと得られない。代表的な者としては、裁判官が挙げられ、彼(彼女)らによって、社会のトラブルが解決され、社会の空気は形成され、時には社会のために作品自体を無かったことにするように立法府府や行政府に促す。

この詩集を解釈する技術を身につけたいという人や、その解釈を生かした仕事を目指したいという人は、一部では自分の仕事や学業の傍らの趣味として気楽にやっていく者はいるものの、殆どは大学の法学部に進学することが多い。しかし、上述の通り、この詩集の中にある詩作の解釈・理解を得意とする者は限られ、そこに至るまでのハードルはかなり高いため、死ぬほど努力をすることが出来る選ばれし者は大抵はこのハードルを難なく乗り越え、さらなる境地を目指して法科大学院に進学するが、大抵は途中で諦めて、普通の人よりは多少解釈が得意、という程度に収まることが多い。

それぞれの詩人の特徴編集

憲法編集

他の五人の詩人の師匠に当たる存在。この師匠の教え(作品)に反するような(と人々が判断した)作品は容赦なく無かったことにされる。1947年までは「大日本帝国憲法」名義で活動していたが、1947年以降は「日本国憲法」名義で活動している。しかし我々はそんなことはお構いなしに、日頃から「憲法」という愛称で呼んでいる。作品を通して、国家の存在の基礎について、人々に問いかけている。

「大日本帝国憲法」名義時代は、天皇を神聖不可侵なる者とし、とにかく天皇が全てであるように意識をし、結果として王権神授説的思想が詩作に全面的に出ていた。そのため、その頃に書かれた詩作からは、天皇のことを万物を司るような存在として見ていたことや、天皇への強い畏敬の念を持っていたことを垣間見ることが出来る。

しかし、日本が第二次世界大戦で敗戦すると、アメリカをはじめとする戦勝国から、世界平和のために天皇主権の考え方を改めるように半ば強制的に思想修正をされ、結果としてそれまで使っていた「大日本帝国憲法」名義から新たに「日本国憲法」に名義変更することとなった。「日本国憲法」名義になってからは、自由主義的な作風になり、名義変更以降の詩作はどれも、国民主権,基本的人権の尊重,平和主義を全面的に押し出しているものとなっている。

民法編集

社会派の詩人。詳しくは民法を参照すること。

商法編集

民法の親友的存在。商人も兼業していると思われるのか、いくら人間関係における規律を描くことを得意とする民法でもカバー仕切れない商人同士の関係における規律について描くことを得意とする。そのため、民法の詩と同様に、商法の詩は社会派とも言うべき作品である。

様々な別名義を持っているものの、ここ最近では、「商法」名義のまま会社についての規律を描くことに気持ち的な限界を感じたためか、2006年からは、会社について描く際には「会社法」名義で活動している。余談であるが、会社についての詩作は会社法名義での活動開始以降はまとめて会社法名義での作品集に収録されてしまったため、商法名義での作品集である商法典はスカスカになってしまった。

刑法編集

罪と罰について、ひたすら考え表現している詩人。とても正義感が強く、罪とは何かを人々に考えさせるような詩作を書くことを専門としている。

人を罰するのはこの詩人の詩作に基づいてなければならず、もし詩作に基づいているものでなければ、例えその罰が「正義」に基づいているものであったとしても、その罰自体が「罪」となるのである。警察官ならば、全員この詩人の詩作を読み込んでいるはずであり、街の平和は、刑法の詩作によって守られている[要出典]と言っても過言ではない。

かつて正義感が強すぎるあまり、親を殺すのはとても重い罪(尊属殺人罪)であることを詩で表現したところ、師匠である憲法はこれを読んで、「法の下の平等」に反するとして激怒させたことがある。大げんかの末、結局刑法はやむを得ず当該詩作を無かったことにした。

民事訴訟法(民事手続法)編集

人と人、会社と人などの私人の間の紛争について、いかに適切に平和に争えるのか、解決できるのかを常に考え続け、それについての詩を書いていく変わり者である。民法との関係は、切っても切れない腐れ縁である。

民事訴訟法の詩作に則って争いをしていけば、理不尽な結果にはならない...はずである。逆にこの詩人の詩作に逆らって自分が有利なように争いを解決しようとしても無駄である。というか、出来ないような社会の仕組みになっている。

刑事訴訟法(刑事手続法)編集

検察だけが解釈・適用することの出来る詩作を量産する詩人である。民法と民事訴訟法の関係のように、刑法とは、切っても切れない腐れ縁である。実体的真実主義者で、過去の出来事について、詩作に基づき認定するしかないという点での目から見た「絶対的真実」そのものとは異なるが、なるべくに近い事実(実体的真実)を追求する起訴された被告が適切に調べられ、判断されるようにするための手順などの詩を書いていることから、良くも悪くも平等主義で、悪人にも慈悲深い人物なようである。

脚註編集

  1. ^ 民事手続法(みんじ てつづき ほー)とも
  2. ^ 刑事手続法(けいじ てつづき ほー)とも

関連項目編集