メインメニューを開く

Uncyclopedia β

利用者:くょぱ/馬鹿にならずにバカバカしくやる方法

< 利用者:くょぱ

基本方針すら完全に理解できたとは言えない私が、このガイドを日本人になじみやすい例で直感的に書き換えてみる。要するに、メモ。日本アンサイクロペディア向け。

なんだか問題点がいっぱい。

すでにリフォームにより完成された、日本語版アンサイクロペディア向けガイドはこちら


ユーモア文の基本精神編集

  • ほどよいノンシャラン。ノンシャラン(nonchalant)、つまりネタを押し付けがましく披露しない態度である。説明を最小限にとどめ、ユーモアが執筆者にとっては湯水のごとく贅沢に消費されるモノであるかのように平然と記述されることで、より洗練されたノリの良い文章として読者を陶酔させることができる。自分のミスをフォローしてくれた上司が何かを求めてじっと目を見つめてくるより、何事もなかったかのように仕事をつづける姿の方に魅力を感じるはずだ。
    • たとえば「下腹部を触るなどわいせつな行為を働いたとして強制わいせつの疑いで~」という語り口を皮肉るのに、「まんこに指を入れたとして~」ではひどすぎる。笑いどころを示すための強調は大抵、読者を真顔に戻すのに一躍買っている。たとえ強調を外しても皮肉として厳しい。「陰毛、肛門、クリトリス、大陰唇、小陰唇、膣に接触したとして」ではピントがずれているし、「ちょいとお粗相そそしただけで~」ではまだ中年男性の猥談であるし、「蜜を採取すべく花弁を掻き分けていっただけで~」では場違いである。こういった性欲の披瀝はほとんどの場合無意味であり、押し付けがましい印象を与える。したがって別角度からの「彼女の呼吸が不規則であり、東洋医学の観点から一刻も早い丹田マッサージが必要と感じられためこれを実施しただけで~」という観点はベターである。しかし、過ぎたるはなお及ばざるが如し。「彼女の表情から単なる腹痛であるか陣痛であるかが判断できなかった、また股関節ヘルニアの関連痛の疑いも濃厚であるため触診に踏み切った」ではシュールである。少なくとも、あまり知られていない情報や論点はノンシャランにすべきでない。あまりにシュールであればNRVなどを貼り付けられる場合も否定できない。しかし説明を加えすぎればグダグダになり、興ざめさせる可能性もある。ぜひとも、読者が理解できるかできないかのラインを見極める目とバランス感覚を養いたい。
    • どうしても強調したい場合は太字にするなどの直截的な手法ではなく、あくまで文章表現にて行うのが望ましい。気づきにくいネタは何度も繰り返したり、わざと逆の主張を語気を強めて書いたりすることで読者にヒントを与えられるだろう。できれば避けたいが、「なぜか」という言葉を文頭に置くというのが最終手段としてある。
  • 文体の統一。アンサイクロペディアでは、多くの異なった文体が使われている。しかし、一つの記事の中で複数の文体が同居しているのは、その部分が引用である場合を除き、好ましくない。急にタメ口に変わった点が気になって相手の話に集中できないのと同じかも……。また、文体に一貫性をもたせることにより、その記事は一人の人間が書いたものだと思ってもらえるだろう。最初のうちは、ウィキペディアのような百科辞典文体で書いておくと無難である。高度なトンデモ文体で面白い記事を書くのはそれからでも遅くはない。
  • 引き立て役。初心者が犯す共通のあやまちは、記事を全体にわたって馬鹿げた物にしてしまうことだ。けれども、真面目であることは、不真面目な時にこそ大事である。真面目と不真面目は、陰と陽であり、お互いになくてはならない正反対である。君の目的が狂人のように見せかけることならば、同じ部屋にいる正気の人間の助けを借りねばならないのだ。事実あるいは事実のように聞こえる歴史背景は、珍事を愉快に物語るだろう。つねに真剣な調子でニュースを伝えているキャスターは、半芸能人化したキャスターよりも不審な挙動が注目されやすいのである。

ユーモアの基本テクニック編集

  • 繰り返し。これは単純であるが、効果的である。ある言葉を何度も何度も言い、そしてそれを重複させ、更に反復するのだ。例: 「キー局のアナウンサーともなれば、全国区の信頼を得たり、世界における歴史的瞬間に立ち会ったり、スポーツ選手と結婚したり、芸能界へのパイプができたり、スポーツ選手と結婚したり、スポーツ選手と結婚することが可能となる」。このように、しつこく繰り返すことでジョークはもっと面白くなる。場合によっては、繰り返すことで面白くなる。そうでなければジョークは死んでしまう、という場合もある。ゆえに、このテクニックを扱うときは、注意深く、慎重に、用心しなければならない。また、注意深くなければならない。要するに、注意深く繰り返すことで面白くなる。通常は3回程度の繰り返しが適量であるが、記事「重複」と「冗語法」については将来にわたって稀な例外として考えなければならないだろう。
  • ミスディレクション。繰り返しよりは少しばかり洗練され、「機智のある」方法である。ダブルミーニング的な文が用いられる。君の文章はある方向を目指して書き始められるが、最後には完全に別の場所にたどりつく。ただし、迷子にならないよう計画を立ててほしい。図書館を目的地に設定するならば、ペンとノートを持参し、たどりつくまでの歩数と方角をあらかじめ調べておくべきだ。なお、ニュース「新人アイドルの卵、自宅で腐乱して発見。硫化水素自殺か」は優れたミスディレクションの例として挙げられよう。
  • エスカレーション。これは不条理なスタイルを作り上げるものであるが、総じて良いテクニックである。記事は合理的かつ落ち着いた調子で始まり、やがて徐々に、極めて理不尽かつ不条理ものになっていく。例:「なお、一般的な携帯電話のサービス約款には、サービス内容、料金の支払い方法、損害発生時の対処法、契約者の責任、事業者の責任阻却事由、事業者による個人情報の自由配布への同意、事業者による契約内容の自由変更への同意などが列挙されている」。不条理なスタイルから初めてその調子を保つという手法は、面白くない。不条理であること自体は面白いかもしれないが、それは真面目なところから――あるいは、少なくともそれほど不条理ではないところから――始めることによって活かされる。これは、一つの文章であろうが、記事全体であろうが、決して変わらぬ真実である。
  • 繰り返し
  • 自己言及。平易ではあるが愉快なテクニックだ。「繰り返し」は何度も繰り返されているし、「ミスディレクション」は図書館にたどりつき、「エスカレーション」はエスカレートしている。詳しくは、この章の自己言及の項目を参照せよ。
  • 慣用句の改変。一直線にオチへ向かう文章を書こうとすると平坦な印象になり、途中でティーブレイクした読者が音楽を聞き始め、やがて眠ってしまうかも知れない。そこでよく知られた決まり文句を用い、小気味良いテンポを文章にあたえるのである。段落末などのようなオチの部分で使うとイヤらしいが、目立たなければ華やかな雰囲気に、しかし派手にやるとクドくなる。例:「なおこの2人は大恋愛の末に離婚しており~」
  • 控え目に言う。そこそこ評価されたユーモア文において、このテクニックが随所で使われていることに気づくと思う。抑制の効いた噂話がいつのまにか常識と化しているのと同様、多くを語らずインパクトの少ない言葉は想像をかきたて、相手にリアリティをもって印象付けたりする場合はないという可能性は少ないと言われている。例:「『国民感情』という言葉が用いられた場合、『個人的主観よりもやや価値のあるもの』というニュアンスを含んでいることが多い」。
  • 大げさに言う。単純なテクニックのように思われるが、じつは膨大な語彙と豊富な知識が必要である。取り扱う題材が、普段誰も気をとめないほどごく単純であるほど成功しやすく、重要度が高い物事であるほど失敗しやすいテクニックである、という点に注意が必要である。記事「栗まんじゅう問題」が壮大なスケールで描かれたことは理に適っている。
  • 倒置。語句を前と後で入れ替えるだけ、という手軽なテクニックである。(※ロシア的倒置法で網羅された感があり[要出典]、語順を変えてユーモアをつくるのは高等テクニックと言える。したがって語句同士ではなく、文同士の入れ替えを考えるべきだろう。)原因と結果が倒立すると、しばしば意外な真理が見えてくることも無くはない。
  • 繰り返し
  • 循環論法。例としては、どうどうめぐりを参照せよ。
  • どうどうめぐり。例としては、循環論法を参照せよ。(※このように語句同士の相互リンクでユーモアを作ることは非常に単純であるためか、記事「たらい回し」の出現以降、「単なる焼き直し」として削除される可能性が高い。その意味では高等テクニックである。したがって語句同士ではなく、文同士のどうどうめぐりを考えるべきだろう。)
  • 真面目なことを不真面目に書く。(※不謹慎な印象を与えてしまいがちなため、高等テクニック。日本流アンサイクロペディアにおいて、ブラックジョークが評価されたうえで生き残る確率は極めて低い。)
  • 不真面目なことを真面目に書く。「記事を一本書くための基本姿勢」として多くの執筆者が採用していると思われる。[要出典]ただ、辞典的な口調で述べることは誰にもできることである。問われているのは、生真面目さと君の知識である。例:「ペニス (愛玩動物)