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ジエン乙

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ジエン乙(-おつ、自演乙)とは、ジサーク帝国(Empire Xithark)を発祥の地とする、マッチポンプ方式によって自らのプロパガンダを積極的に行った者を労い、罵るときに使う言葉である。

概要編集

当時隆盛を極めていたジサーク帝国の第三皇子ジサーク・ジエン(Xithark Zien)が治める国境都市・ジサーク領ブログエン(Blorgen)は、常に隣国のゲリラ部隊や賊からの襲撃を受け、殺戮や略奪による被害を受けていた。そこで、ブログエンを統治していたジエン皇子は領民を守るためと称し、自ら統率権を持つブログエン守護隊を立ち上げた。

隊は着実に成果を上げると共に、趣向を凝らした絢爛豪華な甲冑を身にまとい、凱旋の度に盛大なパレードを開くなど人心を集めることにも力を注ぎ、襲撃や不安定な情勢に疲弊していた領民から絶大な支持を受けることになった。

守護隊が結成されて数年が経つと、無敗を誇る守護隊が領民から受ける支持は揺ぎ無いものになるが、その成果と裏腹に周辺村落への襲撃は後を絶えず、また、必要以上に豪勢な振る舞いをする隊を維持するために莫大な税がつぎ込まれ、情勢は更に悪化の一途をたどる。その当時のブログエンの様子は、襲撃は減らず情勢は更に不安定になる中、領民からの熱狂的な支持を受け豪華に振舞う隊の姿は、ある意味で非常に不自然なものであったと報告されている。

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守護隊の支持が高まると共に、隊に関するいくつかの噂が囁かれるようになった。曰く、隊の一員に村を襲った賊にそっくりな者が居る。曰く、城に捕らえられているはずの犯罪者や捕虜が賊の中に居た。曰く、隊の指揮官と賊とが襲撃された村から少し離れた場所で接触していた。等、噂はいくつか存在していたが、いずれもひとつの結論を導いていた。即ち、ブログエン守護隊と賊との間に何らかの関係があるのではないか?という結論である。

真相編集

噂の真相は意外な形で明らかになる。それは当時、子供がなりたい職業No.1になっていた守護隊からの「脱走者」の証言により明かされた、一般に知られていた隊の姿とは程遠く、にわかには受け入れがたい真実であった。

証言によると、隊は小規模な偽装隊と、ジエン皇子自らが指揮する本隊とに別れ、偽装隊が隣国のゲリラ部隊や賊に偽装して対象となる村を襲撃、ある程度の殺戮や略奪を行った後、本隊によりそれを制圧するマッチポンプ方式で成果を上げていたという。各隊は作戦行動の際、便宜的に偽装隊を甲部隊、本隊を乙部隊と呼んでおり、甲部隊は貴族出身の指揮官と部隊を恐怖で統率するための少数の騎兵、襲撃した村から拉致した村民とブログエンに拘留されていた犯罪者、隣国の捕虜などで構成され、作戦行動の際は実際に殺害されることもあった。乙部隊は知られていたとおり、豪華絢爛な甲冑に身を包んだ貴族で構成され、敵に扮した甲部隊に対し常に負けるはずのない戦闘を行いプロパガンダの一端としていた。

甲部隊からの「脱走者」はかって襲撃された村の村民であることが村の人々により確認され、証言を裏付ける証拠も次々と発見された。当初はあまりにも突飛な証言の内容でそれを信じる者は少なかったが、噂が次々と裏づけされる中で隊への疑惑は次第に高まっていった。

事件編集

事件は恒例となっていた凱旋パレード中に起こった。隊への疑惑が高まる中でのパレードは、熱狂と疑惑の目が渦巻く異様な雰囲気といつもより物々しい警備の中で、隊の最後尾についていた甲部隊が一斉に蜂起したことに始まる。疑惑の目を向けていた観衆と合流した甲部隊は前方を行く乙部隊と激しく衝突し、ブログエンの城下は大混乱に陥る。ジエン皇子率いる乙部隊は城に帰還することができたが、日が落ちても混乱は収まらず、軍の施設や乙部隊に所属していた貴族の邸宅が焼き討ちに逢うなど多数の被害が生じた。翌日になると混乱は一段落したが、領民はジエン皇子と乙部隊を「ジエン乙」と呼び強く非難した。これがブログエン城事件と呼ばれる事件である。

現代編集

事件から数百年を経た現代においては、その起源を知るものは少なくなったが、電子掲示板ブログの世界では、マッチポンプ方式で自らを宣伝した者を罵るため、事件で用いられた「ジエン乙」という言葉になぞらえると共に、「自作自演お疲れ様です。」との皮肉を込めて「ジエン乙」と言うことが慣習となっている。