メインメニューを開く

Uncyclopedia β

天下統一II

天下統一Ⅱから転送)
Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「天下統一シリーズ」の項目を執筆しています。

天下統一Ⅱとは、1991年7月に発売されたシミュレーションゲームである。制作はシステムソフト(現、システムソフトアルファー)。その内容は、戦国時代を生きる1大名を操作し、400以上ある各国の城を落としながら天下を統一することを目的とする。

目次

概要編集

このゲームは、1980年代にゲーム雑誌コンプティークで活躍したゲームクリエイター黒田幸弘氏が、1986年に作成したボードゲーム「戦国大名」を元にしたいわゆる戦国シミュレーションで、他作品との違いとして1にも2にも外交および人材管理に強烈な焦点を当てたシステムを採用。そのため、一般的に戦闘や謀略を最重視する他社の作品群とは大きく異なるプレイスタイルが求められる。

また、そのグラフィックについても大きな特徴が存在し、いわゆる顔グラと呼ばれる武将を表すグラフィックを採用せず、全て名前と数値のみで表示。上杉謙信であれば、軍事20知謀10政治12、武田信玄であれば軍事13知謀20政治16といった形式で、それぞれ武将数4人までをまとめられるアイコンを操作し地図上に存在する城の上に配備、各種コマンドで動かすことでゲームを進めていく。

また、一般的なゲームでメインとなる戦闘についても、武将名と兵数、士気、鉄砲の数を記した簡易なアイコンを1マス動かす形でゲームシステムが構成されており、攻撃時のエフェクトも少なく、武将同士の会話、さらにはアニメーションといったものは逐次排斥。戦闘時においても、アイコンを動かして数字を管理することが求められる。

難易度編集

こういったある意味ストイックな形でゲームシステムを構築した結果、その難易度は飛躍的に跳ね上がることとなる。

某なんちゃらの野望のように内政軍備、そして兵や物資の集中だけでクリアできていた話はそこにはない。いかにして敵を食い止めて、どうやって国内を統一し、さらには外部の難敵にいかにして当たるか。といった、実に難易度の高い頭の痛い話はしかし、あまりにも、あまりにもこのゲームにおける外交のシステムが強すぎた結果、まったく逆の様相を呈することになる。実際、戦術面、戦略面だけで見れば国産の戦国シミュレーションの中ではトップレベルの難易度を誇るこの作品も、総合的な難易度という点においては前作である天下統一に一歩も二歩も劣ることになる。

実際、1546年に開始するこのゲームは戦闘だけに特化すれば1580年代までかかって統一するのが普通であるけれど、外交に慣れるとほとんどの弱小勢力で1570年代での統一が可能となる。さらに、もっと慣れ、そして幸運さえつかめば、有力大名を率いて1550年代に統一するなどという猛者も出現。史実であれば1560年の桶狭間の戦い織田信長が一躍有名となるその前に、さっさと天下統一できたりもする。それぐらい、このゲームの肝は外交にある。

と、同時に、その外交のための人材管理が、このゲームの隠れた主題となっていく。

ゲームシステム編集

このゲームは1年を季節ごと、4ターンに区分し、それぞれに5つのフェイズ(イベント、軍備、政略、作戦、合戦)を繰り返しながら領土を広げていくことを目的としている。その際、兵士の補充や兵農分離、さらには軍団の移動、謀略などを行う。なお、戦闘シーンは野戦と篭城の2つに分かれており、どこぞの信長のほにゃららのような、寡兵による大逆転も存在。けれども、その基本は効率的な兵力の集中と散開にあり、武将を移動させるのに1人ずつ選んで移動させなければならない某ゲームとは違い、軍団という形で4人単位で集中的に移動できるこのゲームでは、それだけでおなか一杯レベルのサクサク感をかもし出すことになる。

また、後述する必殺兵器の存在や恐るべき外交の裏側、そしてそこに潜む落とし穴など、どこぞの光栄が2010年代になってもまだ把握しきれていない人材管理の概念に満ち溢れており、ある意味、マキャベリズムというものを最初期に体現したゲームとなる。

楽しい外交・愉快な外交編集

分かりやすい話である。

現実の日本史でも世界史でも、大勢力と友好関係を結ぶ小勢力は、外交の結果、最初従属関係を結び援軍を要求されるようになる。これは、徳川家康が若い時分に織田家、今川家に人質として送られることで、自国の領土を守っていたのと同じ話である。が、さらに大きくなった勢力に従属する小勢力は次に臣従を要求され、それを呑むと領地も兵もみんな大勢力に組み込まれ、その結果、1つの大名家として滅亡。そのまま、大勢力の中の1軍団として各地を転戦するという、大変に素晴らしい話がある。

これは、賤ヶ岳の戦い以降、各地の勢力を組み敷いていった羽柴秀吉の戦略を元にしたシステムであり、天下統一Ⅱでは、100万石を越えてランクが戦国大名になってから外交コマンドで行えるようになる。

どこぞのこーえーのように、戦国初心者がちまちま一つの城を謀略と攻勢をあわせながら大小の被害を出しつつ落とし落とされする横で、天下統一愛好家たちは外交一発で難敵を同盟の名の下に押し留め、小勢力をほとんど労力をかけずに自勢力に組み込み、スカンスカンと臣従させ、脅威のスピードで領地を拡大。隣国やそのまた向こうの難敵すらも大きく引き離した後、さらなる外交攻勢で一気に従属、臣従させるなんて話が、1990年代に存在していた。

とりあえず、ファミコンスーパーファミコンで1万円を越える歴史ゲームが売れに売れまくっていた時代、PCゲーム界隈でまったく逆の戦略を楽しむ現象が起きていた。明らかに、くおうえいのゲームとは違う視点から歴史を見るための材料がそこに存在していた。

戦闘?けっ編集

このような形で、戦闘という分かりやすさを主題にしたゲームが、幼少期、もしくはそれよりも少し上の年代に一気に拡散され、そういった視点こそが一般的であるという認識がたかがゲームを通してある年代層の子供たちに広まってしまった弊害についてはあえて語らない。結果、戦争や仮初めの平和に際して、大局的な視点が失われまくった件についても些事である。けれど、高校や大学において歴史好きを称する連中が、戦争を戦術で語るなどという光景を見るにつけ、光栄の功罪が深く濃くのしかかる。

そして、そんな認識でインターネットなるカオスの真っ只中において、世界情勢を語ろうとするのだからまったくもって。

結局、1990年代末から2000年代にかけて日本産の歴史ゲームがまったく売れなくなっていくのも仕方がない。別にいいけどもさ。実際のところ、天下統一Ⅱに存在し、その後の歴史シミュレーションに受け継がれなかった概念が、2000年代以降洋物の歴史シミュレーションに嫌になるほど出てくる上、そういうゲームが軒並み面白いという件については、つまりそういうことである。ゲームで得る知識よりも、インターネットで教えられる知識のほうが面白ければ、すなわち、ゲームよりもインターネットを優先して当然である。そして、インターネットで得られる歴史の知識とそのダイナミズムを取り入れた作品を楽しむのも自然な話である。

結局、それまでのゲームで当たり前だった、内政や軍事、謀略といった様々な手練手管を駆使してわずか1つの城、もしくは京都などの国を象徴として、何年もかけて落とす話が、実際の歴史ではまるで違っており、そういった象徴をうんぬんとかいう旧来の勢力に対して、信長や秀吉、家康らが外交や調略を駆使して数ヶ月、もしくは数年をかけてあっという間に10や20、さらにはそれ以上の城を自らの勢力に組み込んでいった歴史的事実が存在。そういった話をまるで無視して、そんなゲームシステムを取り入れないままグラフィックだけ強化されても困る。

むしろ、天下統一で再現されたような10年先を見据えた外交軍隊の役割は前線で足止めなどといった、各種ボードゲームのシステムに乗っ取った話のほうがより現実に近かったりする。ゲーム開始直後は軍事行動で勢力を伸ばすけれど、最終的には全ては外交で解決するなどというミもフタもない価値観の変更こそが、実際の歴史のダイナミズムを旨く表している。けれども、なんとかの野望は、その織田なんとかが行ったモロモロをゲームシステムにいつまでも組み込まないときた。~ 一応、同盟や従属でも統一が可能な作品もあるのだが全て滅ぼした方が楽と言ったケースが多い。よりにもよって○○の野暮シリーズ30周年記念作品とやらの想像でも惣無事令エンディングの条件は自分の勢力の拡大である為、弱小勢力の従属は完全に足枷でむしろ条件達成の為に力尽くで滅ぼさなければならないと言った退化しているときたものだ…


特に、天下統一Ⅱでは後述するような理由で、畿内の有力大名である三好氏や細川氏といった勢力については、3つも4つも国をまたいだ状態で外交を始めるのが基本となっており、速攻で国境を押し広げて無理やりに接した段階で即同盟、即従属させるなどという話は、現実の歴史において織田信長美濃の制圧以降にやっていた外交および勢力の拡大と同じである。畿内を勢力下におくことで、最新の技術と最新の情報を常に把握するという話は、天下統一Ⅱにおいてほぼ踏襲されている。しかも、そのほうが効率がいいからという理由でプレイヤーが研鑽した方法が、現実の歴史においても相当に無理をして畿内を目指す各大名の戦略と一致。このように、実際の歴史の動きとゲームの戦略が合致するなどという話は、ある意味、現実世界のダイナミズムを表している。と同時に、そういった視点を持たないれきしげー、とかいうものをおもっくそ目立たせる。

血も涙も無い平和編集

このように、本来であれば戦闘の下に来るはずの外交が天下統一Ⅱにおける最上位の思想に来るきっかけは、時代の変遷にある。そして、実際の日本の歴史に沿ってゲーム上においても特色のある外交テクニックが磨かれていくこととなったきっかけ。それは、鉄砲という秘密兵器の存在のせいである。

その存在は、実際の歴史においてもどこぞのシヴィライゼーションと同じで、火薬と鉄砲の概念が1543年に日本に伝わった結果、一気に九州から畿内、そして日本中へ広まっていく。この動きを察知したがために、織田信長は畿内へと進軍。数千丁もの鉄砲という他を圧する戦術面での革命が、その後の日本の歴史を大きく変えていく。

そして、このゲームにおいても、まったく同じような進軍を行うことで、効率よく戦線を拡大していくことが可能になる。

とりあえず、1546年に開始されるこのゲームでは、初めのターン、薩摩でしか購入できない鉄砲であるのだけれども、ひとたび購入し戦場で運用するとなると、まるでガトリング砲並みの必殺兵器となり、明らかに戦争の概念が変わることになる。そしてゲームシステム的に見れば、最初期は購入するための労力が莫大なものとなっていたため、いきなりの大量購入と集中運用といった形でバランスを崩すなどという話は存在しないものの、時代を経るごとにその労力は軽減されていき、最終的にはまるで駄菓子を買うかのごとくに少ない労力で大量の鉄砲を配備。ゲーム開始直後とは戦争の概念がまるで代わってしまうことになる。

けれども、所詮は軍事、軍備である。世の中にはそういった労力をはぶくことに血眼を上げる連中がいるわけで、天下統一Ⅱでは、外交に慣れればなれるほどいつの間にか鉄砲とは相手に大量に買い込ませるものと化し、相手の軍団に均等にいきわたってから臣従させることが当たり前になる。もしくは、織田信長のように最初から鉄砲を持った人材としてゲームに登場するのを待ってから臣従。さらに、こういった労力を省く考えは他の戦略にも影響を及ぼし、大雪で軍団の運用がめんどくさい東北地方を平定させてから臣従、さらにはお家再興イベントという臣従させた大名家の後継者によって広範囲の城を乗っ取られるイベントを回避するため、武田義信といった臣従させる時期と登場する時期がかぶる後継者をゲーム内に出現させてから臣従といった、血も涙も無い平和戦略がこのゲームの肝となっていく。

こんな話、KOEIのゲームで見られるわけがない。

もっと楽しい人材管理。別名、本当の首切り編集

しかし、こういった外交活動については、ゲームのシステム上いくつかの制限があり、それがこのゲームと光栄のシミュレーションを大きく分ける材料その2となる。中でも、ゲームのシステム上、1つの大名家で保有できる軍団の数が64と決まっており、臣従を行う際に自分の大名家と相手との軍団の合計がそれを越えるとコマンド選択できないことから、いかにして効率的に軍団の数を減らすかが、このゲームの上級者にとって大きな焦点となっていく。

その結果、生み出されたのが、使えない人材は前線で消費するという思想で、能力が低く、兵士もほとんど持っていない軍団は、真っ先に最前線に送り込まれた上に味方によって退路を絶たれた状態の中、毎ターンごとに滅ぼされていくのが、いつもの光景となっていく。

そして、よりひどい話として、使えない武将にいらない兵士を消費すれば消費するほど、経済的に多くの余裕が生まれ、より活発な外交や謀略、ついでに軍備の増強や内政ができるようになる。

最終的には数十名を越す武将と数万人の兵士が飛騨丹後といった、地形的に武将を消費しやすい国で無残な屍をさらしつつ、能力的に上位の武将達が潤沢な資金を元手に戦闘を極力回避して領土を縦横無尽に広げていく。そして、システム的に外交が行えない独立勢力や、あまりにも小勢力すぎて外交を行う価値が無い連中のみ、大勢力で屠っていくことで、スピーディーに苦労なく全国統一を達成できるようになる。

もちろん、そのような形で軍団を精鋭化しつつ、総数を無理やり減少させることで、20数個もの軍団を有し、関東一帯を保有する北条家や、関東や北陸方面への進路を塞いで、無理やりに東北へ向かわせた上杉家といった大大名を臣従させると、今度は臣従させた連中の間引きが開始される。各地に散らばっている軍団を編成しなおし、使えない人材を再度武将消費地へと送り続け、たとえそれが相手の後継者であったとしても気にせず、純粋に64という数字のみを追い求めていく。

天下統一Ⅱが人材管理ゲームであるという一番の理由は、このような形で自分の制御できる範囲内最高の効率を追求できるよう、システムが調整されている点に尽きる。なお、それに気づいていないどこぞのうつけの野望などは、領土を広げれば広げっぱなし。武将を捕らえれば捕らえるほど、国を広げれば広げるほどやるべきことが多くなりすぎて、ゲームとして破綻していく。途中から作業ゲーム、最終的には苦行ゲームへと移行し、リプレイする意欲を失わせていく。

なお、それは天下統一Ⅱにおいても、外交を知らない初心者がはまりがちな罠であり、戦闘や謀略で天下を統一しようとすると某歴史三部作と同じような道を歩むことになる。無論、それが楽しい時期もあることは認める。

もっとも使えない人材編集

そういった人材管理ゲームの頂点であるこのゲームには、それゆえに皮肉にしか聞こえない現実がいくつか存在する。

中でも天下統一Ⅱのシステム上、仕方のない話であるのだけれども、一番使えない人材が大名の当主になる割合がやけに強い。無論、武田信玄織田信長毛利元就といった完全無欠な当主も存在するのだけれども、全国津々浦々、どこの大名家でもそんなグレートな当主がいるかというと、そんなわけがない。その結果、当主の政治力が基本となる全軍団の行動が、ゲーム最終盤などでは著しく阻害される場合が多くなり、お家再興イベントと大雪イベントに、当主の無能が加わったせいで統一が1年遅れるはめになったなどという話もごく普通に存在。必然的に当主は1人で内政をするだけ、他の作業の邪魔をしないよう注意して管理するなどという話になるか、もしくはこれまた使えない世継と一緒になって、治水開墾や鉱山開発、楽市楽座などをする中、ごくごくたまに政治力が成長することを喜ぶだけの存在となる場合が多い。

ひどい場合には、後継者として無能がゲームに出てきたら即座に抹殺、もしくは殲滅すべき、などという大名家もあり、朝倉義景斎藤龍興といった政治力が5以下(最高20)の当主などは、果たして登場した直後に殺すべきかどうかをプレイヤーサイドは問われることになる。なお、別に当主が死んでもゲームオーバーになるという話はなく、世継がいればそのまま当主が交代するだけで、いなければ他の政治力の高い別の武将が当主の座を引き継ぐだけである。

真の敵編集

このように、外交および人材管理ゲームの極地ともいえる天下統一Ⅱではあるのだけれど、それだけでゲームをクリアできるほど甘くはない。この点において、クリエイターである黒田幸弘氏は分かってらっしゃる。

特に、ゲーム上に出てくる敵の中で、各地に点在する独立勢力について、外交はできなくても謀略で引抜きができる勢力のほか、引き抜きも外交もできない一揆勢という敵を配置。中でも、加賀一向一揆のすさまじさは伝説的で、ゲーム開始当初、どんなに強力な大名家であっても1万程度の兵士の動員しか掛けられない中、55000もの大群を率いて加賀に居座るため、初心者が各国の情報を調べる中、コンナクニドウヤッテセメレバエエネンという話になるのが天下統一Ⅱの素晴らしいところである。

そして、この加賀の存在は、それはそれは戦略にも大きく影響することになり、まず必然的に日本国内を移動する際、加賀(現在の石川県)を通れない状況が長く続くことになる。そのため、どうしても上杉謙信との接近が遅れてしまい、彼が北陸や関東にちょっかいを出して一向一揆や北条家を相手に戦力を消耗する期間がながくなればなるほど、東北地方を平定するのが遅れることになり、後の戦略に悪影響を与えまくる。

なお、怖いのは東北の大名ではなく、東北の雪である。

結局のところ、前線に足止めできる戦力と外交さえちゃんとできれば、同盟&従属できる上杉謙信などさほど怖くも無いのだけれど、国が一つ丸ごと移動してくる加賀の一向一揆にそういった手段がまるで通用しない。そのため、普通のクリアを目指すならば討伐のためには、10万単位の動員が掛けられるゲーム終盤に全勢力を投入して何とか、という話が一般的であるのだけれども、たいていの場合、それまでにゲーム上最高の戦意を保持し最高レベルの鉄砲数を全軍が保有するまで一揆勢が成長。どうやっても手がつけられないなんて話になっていることがほとんどである。

これで、国外にまで攻めてくれればまだ対処できるのに、ゲームのシステム上、独立勢力が国境から出てこないんだ、これがまた。

そのため、弱かろうがなんだろうが関係なく、各地で兵を補充しまくり、ゲーム上最高の兵数である6万ほどの兵を捨て駒にして、篭城。見事、落城の際に敵軍に特攻させ、およそ5万9千900ほどの兵士の屍をさらして戦力を減らし、なんだったらそれをもう一度繰り返して、55000の兵を2万程度に減少させた後、ゆっくりと平定するのが楽である。

もっとも、幸いなことに最強の敵一向一揆も、鉄砲が伝来しなければ単なる農民にすぎず、野戦において遠距離から散々にうちまくって戦意を減らしまくれば、ゲーム開始から10年ほど、1555年当たりでも十分に屠ることが可能である。むしろ、加賀に鉄砲が伝来する前になんとしてでも戦力を整えて特攻をかけないと、ゲームが詰まる。このように、たかが一揆のたかが55000の兵力が、このゲームの一つの大きな鍵となる。そのため、東北や九州といった加賀とは離れた場所からスタートする大名では、ゲーム開始直後にどうやってやつらを抹殺するかを考えて、そのルートを構築することこそが、重要な、本当に重要な戦略となる。

ちなみに、スピードクリアを目指す場合、もっとも早く鉄砲をそろえられる三好長慶あたりを臣従させて、そのまま加賀の隣、越前で兵を補充したあと、地獄を見てもらうことが多い。戦闘が6だの8(最高20)、兵士が1800、総勢20000程度のレベルの連中で、どうやって55000の暴風雨を逐次排除していくか。これほど、要リセットという言葉が似合うミッションも珍しいけれど、これほどひっくり返すのが楽しい戦闘もそうはない。あわせて、同じように20000を越す強力な独立勢力がいる摂津伊賀伊勢なども統一の大きな山となる場合が多いのだけれど、慣れると1ターンで排除できるため、さほど問題ではない。全ては加賀である。加賀の坊主と農民どもこそ、このゲームでもっとも強大な敵である。

受け手の労力を考えない創造の末路編集

さてここからが本題。

どこぞの光栄やどこぞの週刊少年誌において大変によく見られる光景の1つに、インフレというものがある。1国を制圧するのまでが一番面白く、数カ国を領土にしてから先はどうやっても勝利が確定するため、よほどの大勢力が敵にいなければ、その後はほぼ惰性、なんて話は、悲しいことに天下統一Ⅱでもほとんど同じである。しかし、前述の一向一揆や、強大な戦力を保持することになる北条家、上杉家などの臣従の準備といった楽しい首切りの時間があるため、天下統一Ⅱではゲーム最終盤まできちんとゲームらしいゲームを維持できる。

けれども、そういった思想の無い作品の多くは、ある一定の時点で途端にバカらしくなり、クリアを放棄、もしくは作品の購読を終了するなんて話になる。ようは先が見えすぎて面白くもなんともない、乗り越えるべき強大な敵もいない。何より、規模が大きくなりすぎて、疾走感もダイナミズムも失われ、ただただ惰性のみ残る、残ってしまう。

これらの原因は、受け手の培った経験というものを考えないでゲームシステムやら物語の世界設定を考えた結果、バカでも先が分かるなんて話であり、すなわち、惰性がもっとも恐ろしいことにシステムを作った連中が気づかなかったためである。2回目、3回目のクリアや読み直しが当たり前であるファンの心理を製作者サイドが考えなかった結果、ゲームにしろマンガにしろ、別の遊び方別の見方ができる部分を捨て去ってしまい、初心者と上級者のやることが同じであったり、初めて読んだときと20回読み返したときの感想が同じだったりと、まーるで一直線。引っかかる場所まったくなし、自分の視点を変えるなんて発想まるでなしという作品群が、ある時期から大変に多く見られるようになる。特に、1990年代後半以降。

ゲームの規模が大きくなり、それに伴うデータ量も飛躍的に増加した結果、ゲームの終盤に関する思想の欠如は大変に著しいものとなっていき、このクリエイター絶対にカタンの開拓者たちをやってねえ、などとプレイヤーが判断できる作品が日本のゲームシーンを席巻していく。日本のゲーム業界が失墜は、インフレばかりでデフレの必要性を考えなかったせいである。

プレイヤーや読者が作品を楽しめる規模に縮小できるかどうか。無論、効率よく味方を消耗していく天下統一シリーズのほうが異端であることは確かであるけれど、10年も20年も同じシステムと同じインフレ思想で同じような作品を出し続けると、いろんな意味で悲しくなってくる。とりあえず、この編集者、絶対にガロを読んでねえ、増えすぎた味方を減らすという発想をもってねえなどと、読者のほうが先に作品の寿命に気づくなんて話と、少年誌の販売数が激減する時期が一致するなんて話は、根本的に同じである。

とりあえず、そんな形で主人公の勢力を高め続けていくことでゲームの楽しさも高めていくという、革新的なシステムを考え出したシブサワコウは、この現状に泣いていい。で、どこぞのジャンプもまた、トリシマ編集長が泣くしかない。それぐらい、受け手のキャパシティを考えないでインフレだけ行って、結果、作品が破綻するという事例が多すぎる。そして、似たような話がゲームでもマンガでも多すぎる。いつまでもどこまでも毎度毎度、ゲーム終盤物語終盤になって登場する武将やキャラクターが多くなりすぎ、やるべきことが多すぎて、結局、プレイヤーのキャパシティの限界&精神力の上限を超えて、愛情を減らし続け、最後の最後で面白くないという烙印を押される。天下統一Ⅱのように、武将や重要なキャラを殺してでもゲームをやりやすい環境や読者が読みやすい環境を維持するという発想をもてなかった上での、落とし穴である。

あわせて、マンガの世界にそういった思想を取り入れた山口貴由氏のシグルイについて、山口氏はもとより原作者である南條範夫氏に深い敬意を表すとともに、物語のため、何よりも読み手のキャパシティのために中心キャラの死惰性殺しとして受け入れた編集部に対し、心より賞賛を送るものである。

結局、ゲームでもマンガでも数十名単位でぞろぞろと使わない武将を意味なく保有し、いつまでもどこまでも、本来であればそこにいてはいけない昔の仲間がなぜかいるなんて話をいかにしてなくすか。そんな思想を、歴史シミュレーションの大本がいつまでも持ちやがらなかったことが、その後の諸作品に大きな影響を与えることになる。どこぞのジャンプでも同じ。むしろ、現実世界において、織田信長が長年の宿老をためらいも無くリストラしまくって新しい人材を登用しまくったことで、より織田軍が精鋭化したってのに、そんな発想をまるで無視して、30年近く続くゲームにおいてその発想を取り入れられないところが悲しいとかどうとかいう話を超えて、わびしい

そらあ、売り上げが諸行無常になるのも仕方ない。ドラゴンボールを筆頭に、巨大になりすぎた存在をどうやって縮小するかという思想が製作者サイドがもてるかどうか。これは後の世代に残された大きな課題である。

その点、ほぼ忘れ去られた存在である天下統一Ⅱおよび前作である天下統一のドライなことドライなこと。

かくのごとくぶった切るべし編集

まぁ、何がひどいかというか素晴らしいかというか、つまるところ、上述した最前線で武将を消滅させる技術以外でも、天下統一Ⅱには様々な首切りの方法が存在しており、特にゲームシステムの一つの肝である隠居コマンドについては、ゲームの難易度をひっくり返すレベルですさまじいろくでもないやばい。なにしろ、戦闘に費やす労力よりも隠居に費やす労力のほうが大きかったなどという話も実在するレベルでとんでもない。その内容は、45歳以上の武将を強制的に代替わりさせ、その際にランダムで、ゲームに出てくる武将のステータスを引き継いだ後継者が現れるというシステムであるのだけれども、その結果、当然な話として45歳以上の武将は貴重な引換券と化す。なぜなら、隠居後に後を継いだ人材が、信長や元就といった超有名武将のステータスを引き継ぐなんて話があり、さらには外交の成果に関わる政治15以上の武将は羽柴秀吉のほか石田三成といったごく少数しか存在しないため、ゲームを効率よく進めるためにまず隠居という話が当たり前になる。

毎ターンごと、もしくは毎コマンドごとに隠居隠居いんきょいんきょいんきょ。なんだったらセーブ&ロードも費やして。そして、苦労の果てに1人でもそういった武将のコピーロボットが登場するとどうなるかというと、本物のほうが存在価値を激減させ、ものっそく、どうでもいい存在になり下がる。そうなると、今度は消耗させる際に、さほど抵抗がなくなるなんて話になっていく。

まぁ、よくある光景である。けれど、そうすることで、人材は消耗品であるという認識がプレイヤーに叩き込まれ、戦闘後に降伏した有名武将をそのまま独立勢力の餌食にするなんてことをまったく意にも介さなくなり、さらには、謙信や信玄といったビッグネームよりも臣従した際に鉄砲を持っていたがために地獄の加賀へと速攻で送りこまれ、見事生き残った無名武将たちのほうに愛着を持てる上、なおかつ戦略的にも重要な意味をもつ、なんて話にもなる。

それぐらい、歴史への愛、もしくは武将への愛というものを極力排し、あくまでもシステマティックにいかにして天下を統一するかを突き詰めたゲームである。あわせて、2014年現在でも、そういったシステマティックな形で物事を判断する思想、いわゆるマキャベリズムを理解するには最高のソフトである。

実際、こういった人材を消耗させることでサクサクゲームを進めるというドライな面を無視したがために、光栄のゲームは毎回毎回、ゲームへの愛情が尽きると同時に、疲れきった古参のプレイヤーたちが大量に引退していく。武将への愛しかゲームをする動機が無ければ、愛がなくなればリプレイする気力もなくなるのも道理。そして、ゲームのシステムもまた、あまりにも多い無駄のおかげで、愛することに疲れるようにできている。としか思えない。大量の武将、無意味なコマンド、アホなAI、ばかげた戦闘システムなど、歴史Ifを楽しむというより、作った側にWhy?といいたくなる作品群をどうやってシリーズとして楽しみ続ければいいのやら。

無論、そういっためんどくささを受け入れられる大学生レベルの連中にとってはちょうどいいかもしれんけれども、人材を管理する才能や数年先、むしろゲーム終了を見越すまで先を見据えて動くという、外交の才能を小中学生に芽生えさせるには、ほど邪魔なものはない。

マキャベリズム編集

このように、天下統一Ⅱというゲームは、単純なシステム、単純なコマンドだからこそマキャベリズムを体現させてくれる存在である。時代がどのように動くかを事前に予測、最善の手段を駆使して効率よく物事を処理していく。その際に、いかにして愛着を捨てるか。そして、それと反するがごとく、愛着を維持しつづけるかを十二分に楽しませてくれる作品である。

具体例を挙げると、ゲームの終盤、使えない人材の質が向上し続けると、最終的にどうしても削りたい3軍団を選ばなければならず、とすると、ゲーム開始直後から内政及び外交で活躍した政治力10(8→10)の老臣や最初期に臣従してボロボロになるまで戦ってくれた六角家の当主およびその後継者、はたまた、お家再興及び謀反イベントの際に被害を最小限に食い止めるため各地に配備した軍勢の中から最も能力的に低い軍団を見繕って処分するしかない。しかし、けれど、だとしても。

そんな葛藤を乗り越え、こんなにも人としてどうかと思えるレベルの重くるしいリストラを経て、大大名を臣従させる喜びたるやもう。自らの愛に打ち勝つことで、得られる勝利の喜びの味たるやもう。

あわせて、確実に、会社経営ゲームだとしたらあまりにもひどすぎる話であることは認める。

最後に編集

このゲームには、大変に残念なことに、続編というものが存在し、システムソフトからゲームソフト制作部門を引き継いだシステムソフトアルファーというソフト会社が天下統一Ⅱの続編である天下統一Ⅲを2001年に発売している。

2014年3月現在、いまだに、バグ取りが終わっていないという話である。その結果、一部の有志が最もシステム的に完成していた天下統一Ⅱのシナリオを自作、インターネットに公開するなんて話になり、さらには、ウィンドウズの発展とともに、旧作のプレイ環境がなくなってしまう危機感から、天下統一Ⅱのシステムを有するゲームを自作しましょう、なんて話が現実に動いている。

その結果、「下天一統」というソフトの製作が細々と行われ、愛好家たちがバランス調整や攻略に勤しんでいる。それぐらい、愛され、尚且つ、他に類を見ないゲームシステムであるということを、このゲームを楽しんだユーザーたちが証明している。

あわせて、天下統一Ⅳや天下統一Ⅴを製作してなお、そういったファンから無視され続けているシステムソフトアルファーが、実に悲しくなるというか笑える。なんにせよ、Ⅲのバグ取りがいつ終わるか、である。

関連項目編集

外部リンク編集


  執筆コンテスト
本項は第29回執筆コンテストに出品されました。