尾道市
尾道市(おのみちし)は、岡山と広島の間にある日本の都市のひとつである。名前の由来は「龍の尻、尾の道」では無く、「尾美としのりが通った道」から。主に映画撮影で多く使われることが多い。
市の概要編集
その道は非常に狭く、神戸以上に山と海の間の土地が狭いため、人一人通るのがやっと言うところである。日本のチリと言われてもおかしくないところである。
中心地にあった尾道城は威嚇のため。不審者が通るとそこからミサイルやレーザー、挙句の果てには石なども放り投げ不審者を通り抜けることを阻止していた。ただ、空からの攻撃には対抗ができず、ヘリコプター等が上空から襲い掛かって来た場合は無力。しかしそもそもが歴史伝統が無いために撤去された。
「文学の町」といわれているものの、賑わいってどんなものって言いたくなるほど不明である。人通りはさびしく、夜にはほの暗い街頭がぼわーっと佇んでいる。まさにミステリーの町である。新幹線駅は存在するものの、観光客が目当てとする旧市街地から2km程離れている上、ほとんどの新幹線は目にも止まらぬ速さで通過する。まるで本当に走っているのかと言うくらいに。そのためか、住民に新幹線を題材にした小説を見せるとあからさまな嫌悪感を示す。
「映画の町」ともいわれるが、2000年代になってからは映画館が存在しない街となった。そのため、この名称に疑問を投げかけるものが増加した。しかし住民は誇り高く、自分たちの町を「映画の町」だと主張し続けていた。その割に映画を金曜ロードショー以外で見ることもなく、一生を終える者がほとんど。しかし2008年10月に閉館して7年以上経った古ぼけた映画館を改装し、「シネマ尾道」がオープンした。NPOの運営と言うのが時代を反映している。 看板禁止を謳う平谷市制に反抗し看板を設置した。 が、みかじめ料を払う事で許しを得ている。
尾道市全域、看板に税金が掛かる。 これは平谷市制渾身の市庁舎を作る財源に必要なのだ。 だったら自身の給与を返納しろ。
「坂の町」とも呼ばれるが、同じく「坂の町」と呼ばれる長崎市と比べて「坂」の面での知名度は低く、そのうえ長崎市と比べて傾斜は遥かに急であり、道も狭く、「坂の町」というより「急階段の街」と呼ばれる方がふさわしいくらいである。
海にも面しており、戦艦大和が本当に通れるのかと言うくらい海峡の方も狭い。そのためか、大きい船舶は通れない。通れるのは漁船もしくはヨット、いかだぐらいである。狭い海峡のせいか海流も複雑で、格好よく海に泳ぎに出た日には、あっという間に海底に引きずり込まれるのが関の山である。 だがしかし、松山の罪人強制労働施設から避難してきた半島人が、 約1週間の向島キャンプ後、広島・愛媛両警察合同の遭難者捜索隊の目を盗み、 夜間に入水。無事泳ぎ切った。 その後、広島市の格安宿泊所ネットカフェで発見された。 当初は「病床の妹がいる」との設定だった。
海峡をはさんだ向島(むかいしま)には多くの造船所が軒を連ね、貨物船、タンカー、漁船、いかだ、丸木船、駆逐艦と 数多くの船を世に送り出してきた。その多くは、現在、広大な太平洋のどこかで赤さびをまき散らし、海洋汚染の一翼を担っている。
戦国時代以前は海賊が跳梁していた海域でもあり、市内ではないが近隣の大三島にある神社には神社の巫女さんにして海賊にして提督にして、兄の代わりに結婚もせず戦場に散った少女武士の鎧という何かの冗談のような鎧が奉納されている。なお、女性用にアレンジされた武者鎧では現存する日本唯一のものであるそうだ。
過去には自分がタイムリープ能力を身につけたと主張する女子中学生(1965年頃よりしばしば発生)、昨今では自分は神様であると主張する女子中学生(2005年、ただし1980年代説もあり)が出現するなど、奇妙な人間が出現しやすいのも特徴である。また2007年には百合カップルを求める宇宙人がはるばるやってくる事件もあった。これらの不思議な事件は1982年、階段から転げ落ちた男女の身体が入れ替わる事件がおきてから、頻繁に発生していると言われている。
行事編集
尾道を彩る行事は数あるが、中でも市民にとっての一番の参加したくないイベントといえば「尾道みなと祭」であろう。
これは、平山角左右衛門という、尾道の発展に寄与した江戸時代の人物を顕彰するという名目だけど本当は春に客寄せイベントが無かったから始めた祭りで、市内の小中学校に在籍すると、この祭りのメインイベントである「ええじゃんSANSAがり」という市民以外は誰も気にしてない踊りのイベントに強制参加する事ができる。大音量で洗脳音頭を聞かされながら苦しい練習を繰り返しみんなで力を合わせて練習に励み、本番では大勢の観客の前でひたすら母校や尾道やこの祭りを讃える歌詞を叫びながら踊る。「平成の大合併」で併合された各小中学校も即強制参加資格が与えられた。イヤなら私学に逃げるしかない。しかし私学は私学でも尾道学園に進んだ場合、この学校は市内の学校なのでやっぱり強制参加である。また、市内の会社に就職した場合もかなり多くの社員がこの踊りに強制喜んで参加する。ゴールデンウィーク前の忙しい時期に終業後の疲れた体に鞭をうち練習もかかわらずみんな精力的に練習に励む。場合によっては仕事の手を止めてでも参加する。そして休日がまるごと一日潰されたあげく得られるものは社長の満足だけであるみな満面の笑みで祭りを終える。企業で強制参加している人の8割は内心出たくない毎年ぜひ参加したいと思っている。
ここ数年一般の部グランプリ部門賞を女子高校生のチーム(高校生は小中学校と異なり学校毎の有志チーム)が獲っている点からも、企業チームについてはお察しください。
尾道ラーメン編集
ラーメンと言う麺料理で有名ということになっているが、実際には三大ラーメンとされる札幌・博多・喜多方といった他の有名なラーメン保有地域よりも知名度が低いとされる。しかしよくよく見ると、筆者が地元贔屓であることを差し引いても、喜多方ラーメンの知名度はどう考えても尾道ラーメンと似たようなレベルである。知名度というと三大ラーメンは「博多(九州)ラーメン(豚骨)・東京ラーメン(醤油)・札幌ラーメン(味噌)」となるはずだが、それじゃただ大都市を並べてるだけで何の面白さもないので、かませ犬として喜多方ラーメンが採用されているのだろうが、まあそんな事はどうだっていい。とりあえず尾道ラーメンの有名店を紹介しよう。
朱華園編集
尾道市を代表するラーメン店。大都市圏を除けば日本屈指の行列店である。ただし、尾道ラーメンの代表店でありながら尾道ラーメンの特徴である魚ダシを使用していないという大きな矛盾を抱えている。 だが、しかし、朱華園は「中華そば」なので、尾道ラーメンでは無い。 (その他 にある 萬来軒も中華そば) だが、しかし2,令和元年6月に急に休業。(松永店は閉店) 休業前は商店街を三周するくらいの行列が出来て、 行列待ち客への まかない麺が出たとか出なかったとか。 なお「閉店」と言うと『休業だ!』と騒ぐ連中がいるが 食べてないだろ。
つたふじ編集
尾道二大ラーメン店の一つ。店主には威厳があるとされる。当店は魚ダシこそ使っているものの、尾道ラーメンの特徴とされる平打麺ではなく独自の麺である。尾道を代表する二大ラーメン店のどちらもが尾道ラーメンの特徴である魚ダシ・平打麺の特徴を備えていないという事になる。こうした事は、ご当地ラーメンとしては珍しい事である。 と言うより、朱華園・つたふじ を始めとした古参ラーメン店は 尾道ラーメンでは無い。 「尾道で食べるラーメン か 中華そば」
その他編集
- 一丁
- 店は小奇麗だし、定食もあるし、店主も2代目も常識人なので小心者の私が好んでよく行く店である。ただし店が尾道市内ではなく、お隣福山市の福山駅前にある。(福山にある「尾道ラーメン」のお店である。はにゃ?)ここのように、尾道以外で尾道ラーメンを冠している店は割と多い。他店と異なり、ダシはあらかじめ混ぜて鍋でぐつぐつ煮込んでいる。あと上の2店の支店もこの市内にあるが、行列が嫌な人はそっちに行ってしまえ。とはいえ、たいがいの人は知っていても本店の方に並ぶのは、やはり旅情を味わいたいといったところか。
- みやち、たに、一番館、東珍康、味平、萬来軒などの人気店もあるが、全国的な知名度はほとんどない。
歴史編集
- 縄文時代 現在の高須町太田の辺りで貝殻が大量投棄される
- 古墳時代 現在の美ノ郷町三成にお墓が造られる
- 616年
朝廷の政務で忙しいはずの聖徳太子により浄土寺が建立さる - 730年
全国を行脚して暇がないはずの行基により西国寺が建立さる - 806年
唐から帰ってまだ大宰府に逗留しているはずの弘法大師空海により千光寺が建立さる - 901年 菅原道真公が寄港。高価な袖を与えられた住人は感激し、公が腰掛けた岩を現代まで守り伝える
- 1169年 備後太田庄の倉敷地に指定。発展の源となる。が、その時に地名を「倉敷」としなかったため、倉敷市の知名度を利用する事は出来なくなった。
- 1336年 足利尊氏が逃げる途中と逆襲の途中に浄土寺に参拝する
- 戦国時代 村上水軍が大暴れ
- 1741年 尾道町奉行平山角左右衛門が住吉浜を改修。この功により彼は遥か後代の人間から初代尾道名誉市民と勝手に認定される
- 1968年 本四架橋3ルート計画とはまったく関係ない橋として「尾道大橋」開通
- 1969年 三原市との新幹線駅誘致戦争に敗れる。このことは尾道市民にとって大変な屈辱であった。それがどれほどであったかは、下記の通り、「費用全額負担」というハードルが高いはずの新駅設置を全力で推し進めて滞りなくやりおおせたことからも窺い知れる。しかし、この時点で新幹線駅が設置されていたら、在来線駅に併設された可能性が高く[要出典]、現在数少ない売りの「懐かしい
と都会の人が勝手に感じる街並み」が壊されていた可能性もあったと考えると、まさに「塞翁が馬」と言わざるを得ない。ちなみに太平洋戦争の前は備後の代表都市は尾道であり、戦前の弾丸列車計画では岡山広島の間では唯一、駅を設置することが計画されていた。また尾道周辺は直接の戦争被害は少ないが、小倉→長崎のように、広島市周辺の天候が悪かった場合には、代替地としての原爆投下の可能性があった。 - 1988年 62億円の巨費を全額地元負担した「新尾道駅」が開業するも、「こだま」のみ停車で肩すかしを食らう
- 1999年 しまなみ海道開通。しかし因島と生口島は島内道路未完成の上ハーフIC、と他地域に比べ差別される
- 2005年 映画に使われた戦艦大和を一般公開。公開当初は待ち時間も少なかったが次第に人が増えてエラい事に
- 2010年 尾道自動車道が部分開通(尾道JCT-世羅IC間)。略称は「尾道道」。読みは「おのどうみち」。いや「おのどうどう」だったかも。
主な観光場所・施設編集
- 千光寺…素人は素直にロープウェーに乗れ
- 西国寺…わらじ
- 浄土寺…平日昼間の鳩へのエサやりは大変危険
- 尾道駅…向かいのホームへ地下を潜っていくローカル駅では珍しい構造
- 高見山…Wikipediaの知ったかどもが「展望台」としてあげているが、自販機すらない寂れた場所だ、気をつけろ
- 渡船…映画の航路は嘘航路だ、発着場所に気を付けろ
- 御袖天満宮…映画と同じように階段を抱き合って転げ落ちると、よくて大けが、下手すると死にます
出身有名人編集
姉妹都市編集
関連項目編集
隆太「ラわーん! あんちゃん、この尾道市はまだ書きかけじゃあー! シゴウしたるぞ!」 元「なんじゃと! くやしいのう、くやしいのう。お、おどりゃなんとかせんかい! 誰でもいいけえ、加筆してつかあさい。」 (Portal:スタブ) |