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弁償法

弁証法から転送)
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法令情報に関する注意: この項目は特に記述がない限り、日本の法令について解説しているのかもしれません。最新の法令改正って何でしょう?
ご自身が現実に遭遇した事件については、このような場所に入り浸らず、その現実と向き合って解決して下さい。免責事項もお読み下さい。

弁償法(べんしょうほう)とは、過去および現在において一部の国家において施行されている法律の一般的な名称。東欧諸国など旧ソ連の一部において現在も存在する。日本の器物損壊罪に当たる。国により名称が異なり、また法学者の間でも名称が一貫していないが、ここでは弁償法と呼ぶ。

目次

弁償法の考え方編集

弁償法の定義は学者によりまちまちで一貫していないが、後述の回復可能財産を損壊した場合には懲罰として損壊した財産の評価額の一定倍を補償すればそれ以上の刑事罰に問われない場合、それを規定する方を呼ぶ。5~20倍前後が一般的だが、地方におけるものを含めれば最小では2倍、最大では30倍が存在する。損壊財産の評価額のn倍(nには正の数が入る。)の補償を行う場合その法律をn倍弁償法と呼ぶ。またこのnを弁償倍率ともよぶ。一部の学者によっては、器物の破損の刑事罰として罰金のみしか科さない場合も弁償法と呼ぶ例も見えるがこれは正確には誤用とされている。

弁償法の二分法編集

近代弁償法(後述)においては、財産を二分し回復可能財産(再生可能財産とも呼ぶ)と回復不可能財産(再生不可能財産ともよぶ)とする。前者は、商店で陳列される商品やお金(場合によっては別の扱いを受ける)・大量に自生している草などが当てはまり、後者は所有者が愛着を持つ各種商品(一般的な大きさの家を持つ人の財産のほとんどがこれに当たる)や自分が少数制作した(たいてい10個以下が当たる)ものやいわゆる宝(ただし宝石等はのぞく)などの稀少財産・レアものが含まれる。ただし、この分け方は曖昧でカナダなど一つの財産に両方の性質を認める場合もある。その場合でも弁償法と呼ばれる限りは完全に回復可能・回復不可能な財産が存在する。また、過去においては酒場における使用済みの瓶が回復不可能財産と認められたり、逆に二十年間自宅においてあった人形が回復可能財産と認められた例がある。

古代における弁償法編集

弁償法は8~9世紀においてヨーロッパの一部に存在した。主に都市国家において近代的な法概念が未発達、かつ器物の破損が大きな問題とならない場合に限られた。このような場合でも、身分の違いによってその限りではなかったり、あるいは神聖とされるものを破損した場合は別個の罰の対象となった。これを場合により古典的弁償法と呼ぶこともある。しかし多くの都市国家が消滅しまた一国家あたりの領土が拡大するに当たりこの性善説的な懲罰制度は機能しなくなり13世紀までには完全に消滅した。

近代における弁償法編集

弁償法の再発見編集

弁償法は近代まで長く忘れ去られており、また法律として施行する国もなかった。これは主に弁償法が主に適用された古代の法律が一概に野蛮や未発達とされ十分な研究の対象になっていなかった事が原因とされる。また法歴史学も学問として十分に確立されていなかった。近代において初めて古代における弁償法を確認したのは諸説あるが帝政ロシアの法学者であるパーヴェル・ニコラエヴィチ・ヴィノグラドフ(ロシア語:Павел Николаевич Виногрáдов1880年2月26日 - 1914年2月20日)だとされる。これを弁償法の再発見とされる。彼は1911年に「古代における財産毀損の補償法について」という論文を記したが帝政ロシア下では前述のような理由によりほとんど無視された。弁償法の再発見が再び注目されるのは旧ソ連時代に入ってからである。

旧ソ連における弁償法編集

ロシア革命後の旧ソ連においては、以前の帝政ロシアとの一貫性を嫌いパーヴェルの論文が再び注目を集める。歴史学者によってはこれを弁償法の再々発見と呼ぶこともある。またその過程で弁償法の法理論が整備され近代化されていった。この近代化された弁償法を近代弁償法と呼ぶ。これは主に財産を回復可能財産(店頭の商品や金など)と回復不可能財産(所有者が特に愛着のある財産や稀少財産など)に分け前者のみを弁償法の対象とするものである(前述)。しかし、実際に法律として制定されるのは第二次世界大戦後となった。
実際の法律の制定においては犯罪増加の懸念もあり、平均的な器物損害の検挙率に関する大規模な調査が行われた。この時、都市部と地方での統計値の大きな格差が認められたため、都市部と地方で弁償倍率を変える事も検討されたが、最終的には一律に25倍となった。実際の検挙率は17%(損害額換算)程度とされており非常に大きな倍率に設定したのである。また、大規模な破壊行為に対して新たに罰が設定され、各種書類や公的な財産は対象外とされた。法律の制定は1948年4月9日で最終段階においてヨシフ・スターリンの裁定により施行された。これに関係した法律家のほとんどと提案した政治家は後に処刑されたとされるが弁償法はそのまま残った。議論の過程は当事者の日記より判明したものである。

この後弁償法は東欧やその他の旧ソ連支配下の各国にも拡大した。この際、弁償法の対象が盗難などにまで拡大することもあったが、その場合たいてい同時に家宅侵入の罰が重くなっている。また弁償倍率も様々で、最低の2倍はこの時のアゼルバイジャンにおけるものである(翌年4倍に改訂)。概して弁償倍率は国土の大きさに比例しており、現代法学の主要な研究対象となっている。

旧ソ連解体後編集

旧ソ連解体後、ロシア連邦では1994年多くの近代国家(旧西側諸国)に習って撤廃された。この時市民からは慣れ親しんだ法概念の改訂によるとまどいのほかに安堵の声も聞かれたとされる。これは旧ソ連末期から解体後しばらくは弁償法は機能していなかったからである。ただし旧ソ連の諸国はその限りでなく、現在でも残る国は多いが適用はまれとされる国も多い。現代では裁判官の恣意的な判断を防ぐため撤廃しようとする動きも見られるがまだ一般的ではない。

現代の状況編集

旧ソ連時代は弁償法はソ連に特有なものとされ導入や検討する例はまれであり各国の共産党のみが主張してる時代が長く続いた。現代においては弁償法への態度の違いが法学や歴史学での主要な研究対象となっている。また、純粋に法自体を評価して導入を試みる場合もある。

ヨーロッパでの導入への動き編集

ヨーロッパにおいては長く各国共産党が主張してきたが、現在弁償法を採用している東欧国に接する国において導入された例があるほか、フランスとドイツにおいても導入が検討されている(ドイツは東西統一後の一定期間東ドイツに限って適用されていた期間があった)。ただし、たいていの国は現在静観している状況である。また、弁償法は治安の悪化や犯罪の容認につながると主張されており、導入は各国の治安が現在より安定するまで不可能とされている。

北米での導入への動き編集

カナダは1998年、弁償法を導入した。弁償倍率は17.5倍であり、これは最高刑で酌量の余地がある場合2倍にまで下がる。このためこれが弁償法と呼ぶかどうかには異論がある。またこれは弁償倍率が整数にならなかった初めてかつ現在唯一の例である。

アメリカでは2003年民主党系議員が提案したが、大きな動きにはなっていない。現在導入に向けた動きは皆無である。

日本における動き編集

日本では長く共産党が党の非公式の目的の一つとしていたとされるがこれといった動きはしていない。また2003年、社民党が代表質問において触れたがそれ以降は弁償法に関しては社民党は活動していない。また、2007年に法務省が「器物損壊法の大規模改正に関して」としてパブリックコメントの募集を行ったが、この時「犯罪の増加につながる」「万引きを容認するのか」などのコメントが多く寄せられその後特に動きはない。その他現在mixiには弁償法導入賛成派のコミュニティーがあるほか2ちゃんねるの政治版には弁償法について語るスレッドが度々建てられている。

その他編集

アジアや南米などでは導入例も導入に向けた動きもない。アフリカにおいては導入に向けた動きが南アフリカなどで2,3あったが治安などの理由で困難である。

名称について編集

現在「弁償法」が最も一般的である。また一部では「賠償法」とも呼ばれるが国家賠償法と誤解されやすいので注意が必要である。他に一部の法学者によっては「思い入れ法」や「器物損壊二分法」などとも呼ばれる。

補足編集

誤解されることも多いが過去においても現在においても中華人民共和国・キューバ・朝鮮民主主義人民共和国のいずれの国においても弁償法は導入されたことはないしその予定もない。また、太平洋の島国においておよそ1200年間に渡って古典的弁償法が通用しているとみられる国もある。

文献編集

ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「弁償法」の項目を執筆しています。

当事者による記録編集

  • トロツキー『トロッキー日記』全五巻 2000年 岩山書店
  • アレクサンドル・ケレンスキー『ケレンスキー回顧録』成文社 1977年

参考文献編集

  • 飯田敏夫『弁償法入門』東京大学出版会
  • 上田康夫『旧ソ連における法概念』成程堂、1997年8月
  • 滝川邦彦『思いやり法の実施例と実践』岩山書店
  • クレンセン『賠償と回復の法』下谷出版会、2008年3月