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時代考証

時代考証(じだいこうしょう、別名: 時代高尚、時代交渉)とは、わけの分からないルールに基づいて高尚な史実との整合性をフィクション作品に求めること、あるいは、制作に携わって作品に史実との整合性を持たせ、視聴者の歴史オタクたちと交渉する人のことである。

概要編集

歴史を題材にして物語を作るとき、完全にその歴史に忠実に作ってしまうと様々な問題が発生する。例えば、銭形平次がお金を投げすぎて貧乏になってしまったとか、水戸黄門は40年以上にわたって日本中を何十回も周ったので、当時の日本人全員に顔を覚えられてしまい、行く先々ですぐさま「あ、水戸のご老公様だ」とみんなに平伏されて、肝心の悪人退治ができなくなったとかいう事実があるのだ。これではドラマにならない。

そこで、多少の脚色を加えるのだが、「歴史(物)は高尚でなければならない」と主張する歴史オタク達は優越感を味わうためにこれを批判してくる。ゆえに、時代劇は所詮はフィクションとして娯楽性を重視する一方で、史実もまた重視しなければならず、制作陣は専用のスタッフを雇ってこの両面のバランスをうまい具合に調整するのである。即ち、そうした過程を通じて、歴史オタクたちと間接的に交渉して諭しているのである。

悲惨な例編集

時代考証に関して扱われる問題にはいくつもの悲惨な例がある。例えば、平安時代の小説などを読んだ人が「平安時代の人々は美しいのだろうな」と思ったとする。しかし、実際に調べてみると、当時の美人とされた人々は現代から見ると到底美人ではないとわかる。また、中世のヨーロッパを参考にしたと思われるロールプレイングゲームの美しい世界観に魅了され、その時代を調べてみると、実際のところ調味料には塩すらなくてメシはマズく、都市はその発達にインフラ整備が追い付かず糞尿にまみれていたなどということがわかる。現実とそれを題材としたフィクションがあまりにもかけ離れているということだが、かといってこれを時代考証の観点から反映させても仕方がない。

そして、その最たる例は韓国ドラマである。韓国の時代劇ドラマは日本でも人気な一大ジャンルであるが、時代考証の観点からするとこれらは一切成立しなくなるし、まともに時代考証しようものなら自国文化の顔に泥を塗りかねないという、娯楽にすら及ばない内容のものが出来上がってしまう。結果として、こうした作品は、美形俳優たちにバトル漫画のような立ち回りを演じさせ、終始一貫して当時一切存在しなかったものを描くことで、時代劇と称してファンタジーのような作品を作り上げるところに落ち着いたのであった。

一方では、制作する側にも困難が伴う。例えば、安土桃山時代では人の名前を役職名で呼んだため、「内府様」やら「慈父様」とわけのわからない単語が飛び交ってしまう。大河ドラマの『真田丸』はこれをうまいこと視聴者に説明しながらフィクションに反映させていた。

関連項目編集

ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「時代考証」の項目を執筆しています。