「新御徒町駅」の版間の差分

1,391 バイト追加 、 2007年3月30日 (金) 17:50
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==上野御徒町と新御徒町==
東京都営地下鉄大江戸線が開通したのは2000年12月のことであるが、この時都営地下鉄が予想もしなかったことが起きた。「上野御徒町」と「新御徒町」という同じような名前の駅が開業して、地下鉄珍しさにやってきた客を大いにまごつかせ、混乱させ、怒らせ、挙句の果てには泣き叫ぶ乗客が両駅に満ち溢れ、てんやわんやの大騒動になったのである。駅乗務員らは乗客に両駅の違いを懸命に説明すること追われたが、駅長ら上層部はこの光景をほくそ笑みながら眺めていたのである。「実験は成功した」。すなわち上野御徒町と新御徒町は言うなれば、オリジナルとコピー、海平と波平みたいなものであり、そうそう易々と区別がついては、都営地下鉄としては、困るのである。徹底的に似たこの両駅にどのような謎が隠されているというのか。
 
==御徒町を守る人柱として==
1990年代に膨張し変貌した「趣都」秋葉原。そこへ来る途方もない量のオタクさんたち。彼らは有害とは言えないまでも、無害であるとはとてもいえぬ存在であり、その流出にどの近隣地域も応対に苦慮していた。オタクに登録制を、オタクに許可制を、あるいはオタクに即時退去を、という声が聞こえる中で、一番の強硬派は台東区の御徒町・上野・鶯谷の住人であった。彼らはあらゆる手段を講じてオタクを封印しようとしていたが、功を奏さず打開策は見出せなかった。そんな中、オタクを封じ込めるのではなく、横流しにするのはどうかという案が出された。すなわち彼らに筋道をつけて流せば十分なガス抜きになり、アキバ系オタクのの膨張主義を無にすることができると考えたのである。しかしそうはいっても、誰がネコ(オタク)に鈴をつけるのか、ということでまた話は暗礁に乗り上げた。どこの自治体も尻込みし、激論が飛び交う中、佐竹町商店街の関係者がオタクをひきつける人柱になることに名乗りを上げたのである。この犠牲的精神にその場に居合わせた誰もが涙したという。
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