真面目で大人しい

真面目で大人しい(まじめでおとなしい)とは、犯罪を起こした罪人(時に非罪人)を社会から抹殺するために作り出された常套句である。1990年代末から盛んに使われるようになった。

概要編集

ワイドショーを独占するほどの凶悪犯罪が起きると、まるで呪文でも唱えているかのように「犯人はふだん真面目で大人しい青年だった」と伝えられる。そして、まるで中国共産党中央宣伝部から指導を受けているかのように、犯人は「職業 無職 動機 誰でもよかった」と画一的に報じられ、プライバシーを洗いざらい人肉捜索される。

そして、その犯罪事件は3日くらいすると、中央宣伝部から報道規制令を敷かれたかのごとく、何事も無かったかのようにきれいさっぱり忘れられ、社会から存在しなかったかのようになり、トップニュースは芸能人の醜聞といった平和的な話題に移される。そして、事件は被害者の魂と共に抹殺される。

検証編集

しかし、どこまでそのキャラクター類型は真実に迫れているのだろうか?

本当の場合編集

「凶悪犯は本当に真面目で大人しい青年だった」と自他共に認めている場合、犯人はどうしてそれまでの人生を台無しにする凶行に走ったのだろうか?

恐らく犯人は「無職」になる直前まで、日本式システムの枠組みをごく真面目に信じ、誰よりも強く客観的には採算に合わない会社の事業に献身し、誰よりも大きな声で挨拶し、誰よりも明るくAKBの曲を歌い、誰よりも深く上司からの不当なクレームを心から心配してくれていると感謝していたに違いない。何故ならそれが大人社会の定義する「真面目で大人しい青年」の理想像なのだから。それが何らかのきっかけで突然梯子を外され、それまで抱いていた日本式システムへの信用がガラガラと崩れていく恐ろしい経験があったのだろう。学校で孤立した経験のない勝ち組な人間にとって、人生の中でまったく耐性の無いその経験は、道徳感覚を殺されるほど恐ろしいものだったに違いない。

しかし、そうした疑問を抱くと、「加害者の側に立つのか?」「人殺しの仲間め」とクレームが飛んでくる。そして、職場の同僚から「犯人は学校卒業からずっと無職童貞だったと思え。現実をみろ」と笑われる。

あ、そういえばこの同僚1年前事業で大赤字出してクビになったんだった。あれ、テレビをつけたらまた無差別通り魔事件が起きたと報道している。犯人は…

同僚ではないか!!!!

虚構の場合編集

「真面目で大人しい」像が虚構で、実は犯人が暴走族の総長だったとする。

この場合は総長を暴走族カーストでいじめ上等の最下層に置くために、政敵たちが「普段は大人しい真面目な青年でしたよ」と申し合わせて証言することがある。数人から同趣旨の証言がとれれば、東京からやってきた報道機関は何も疑わずに総長を真面目青年のように映し出すことだろう。政敵はそれを観て「マスゴミめ!」とほくそ笑む。

暴走族なんてものに真の意味での信義など存在しないことは誰でも知っていることだろう。ならば、逮捕を機にそれまでの勇ましい姿はどこへやら、今こそ日頃の恨みを晴らさんとあらゆる報復活動、ネガティヴキャンペーンが展開されることになる。そして、総長は表社会はおろか裏社会からも抹殺されていく。因果応報

事情を知らぬ真面目で穏健な一般市民が報道機関を経由して見聞できるのは、あくまでその表面だけに過ぎない。

更生編集

日常生活で、この「真面目で大人しい」類型が用いられることもある。たいていの場合、「何の印象も残らないつまらない人」という職場カースト最下層の人間をビジネストークにより褒め言葉っぽく表現しているだけというのが真相である。社交的に抹殺するという点で特に変わるところはない。

それが悔しくて犯罪に走る人間もたまにいる。犯行が万引き程度だったら、「普段は大人しい青年」も普段の行動が幸いして、一体どうしてと情状酌量してもらえることだろう。しかし、暴走族指定の許容範囲を大きく超えて殺人を犯してしまった場合は、決して許されることはない。

教訓編集

殺人だけはやってはいけない。ネットなら一人でもできるから、社会闘争に頼ろう。

関連項目編集