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蒼龍

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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「蒼龍」の項目を執筆しています。

蒼龍(そうりゅう、Mothership the Blue-Dragon)とは、大日本帝国海軍の艦船である。(俺の嫁)

目次

概要編集

大日本帝国海軍において蒼龍と名づけられた艦船は二隻が存在していた。

  1. 御召艦
  2. 航空母艦

また、大日本帝国海軍の崩壊後に創設された海上自衛隊においても「そうりゅう」と名づけられた潜水艦が存在(平成30(2018)年7月現在)している。

蒼龍 (御召艦)編集

ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「蒼龍 (御召艦)」の項目を執筆しています。

まず最初にこちらの読みは「そうりょう」である。「そうりゅう」ではないので、にわか軍事通を気取る場合は注意が必要である。明治2(1869)年に横須賀造船所で起工されたが、まだ日本の造船技術は黎明期であり、それまで江戸幕府によって大きな艦船の建造を禁じられていたために建造作業は難航、どうにか進水できたのは明治5(1872)年5月、竣工は同年8月という異例の遅さであった。竣工時は皇室御用達の艦であることから宮内省の所管に加えられたのだが、どうにも持て余してしまったために帝国海軍に移管され、皇室が必要とした時だけ出動させる態勢をとるようになったのだが、管理費用は海軍もちとされたため、その後宮内省と海軍省は対立するようになった。しかし誰も気にしない

かくして完成した蒼龍であったが、排水量198t(現代のマグロ漁船より貧弱ウゥゥ)という小さな船体と40馬力(現代のマグロ漁船より貧弱ウゥゥ)という貧弱なエンジンしか持たなかったために外洋に出ることが出来ず(そんな事したらたちまち海の藻屑である)、内海専用(瀬戸内海やせいぜい沿岸程度)でしか使えなかったためにほとんど活躍の機会はないまま、明治19(1886)年4月にめでたく除籍、廃艦とされたのであった。

蒼龍 (空母)編集

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こちらは「そうりゅう」である。「そうりょう」ではないのでごっちゃにならないように。昭和2(1927)年度の海軍軍備補充計画(いわゆるマル2計画)で建造された航空母艦である。それまで建造された「赤城」「加賀」の建造で成功した手法を無難に取り入れたことで革新的な向上がない代わりにソツのない性能・構造となっている。艤装(ぎそう。建造する艦船に装備を積み込んだりすること)員長であった大野一郎海軍大佐はそのつまらなさに閉口し「ただの航空母艦には興味ありません」と艦首(かんしゅ。艦船の先端)に25ミリ機銃をくくりつけるくらいがせめてもの抵抗であった。

かくして昭和10(1935)年に進水、昭和12(1937)年に竣工した蒼龍は、翌昭和13(1938)年に広東攻略戦で初陣を飾り、その後真珠湾攻撃(昭和16(1941)年)や第2次ウェーク島攻略作戦(同年)、アンボン島攻略作戦(昭和17(1942)年)、同年ポート・ダーウィン空襲、セイロン沖海戦(イギリス空母ハーミーズ等を撃沈)と歴戦するが、ミッドウェー海戦(昭和17(1942)年6月5日)でアメリカ軍の爆撃によって撃沈させられてしまった。が、その現実をどうしても認めたくなかった大日本帝国海軍当局は同年8月10日、蒼龍を「除籍」する。曰く「蒼龍は鬼畜米英によって沈められたのではなく、あくまでも帝国海軍によって除籍され、なかったことになったのである」という現実逃避であった。その後対米戦における戦局が暗転したのは言うまでもない話である。

そうりゅう (潜水艦)編集

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海上自衛隊の潜水艦であることは言うまでもないが、その実態については国防上の秘密とされている。秘密だと言ったら断じて秘密である以上、うっかりその情報について漏洩させてしまおうものなら、懲戒処分は免れない。そのため、海上自衛隊における関係者は一斉に口を噤んでしまっているが、どうしても知りたいという物好きのために、広島県呉市に「てつのくじら館」という資料館が存在している。ここに来れば潜水艦の歴史はもちろんのこと、詳細なデータや知られちゃまずい(のではないか、と勝手に危惧されている)あんなことこんなことまで、まとめて公開されている。同じことを隊員から聞き出すのはスパイ行為に当たるらしいが、ここで調べるのはまったく問題ないという海上自衛隊の不条理がここに存在しているのである。

外部リンク

関連項目編集