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JR北海道キハ141系気動車

JR北海道キハ141系気動車(じぇいあーるほっかいどうきは-けいきどうしゃ)は、大量に余った50系51形客車にJR北海道が魔改造を施した気動車である。

長らく札沼線の南半分で用いられていたが、同区間の電化によって大半がミヤンマー国鉄に譲渡され、僅かな残党が苫小牧へと移り、現在は室蘭本線で俊足を活かして特急から逃げ切る運用についている。

目次

前史編集

 
旧型客車での輸送
 
労組とボロ客車にお怒りの中曽根首相

汽車の時代編集

もともと北海道では、北陸地方や九州と同様に、客車を機関車が引っ張る汽車が多かった。また、機関士もたくさんいたため、彼らの仕事を維持する必要もあった。

その汽車は、列車が95キロで走っていようが、機関士が酒かっくらって寝てしまっていようが、お構いなしに乗り降りし放題のワイルドな旧型客車が使われていた。

当然ながら高速で走行中の列車からのエクストリーム下車は危険を伴う[1]。立木に激突する、クマやシカに当たるなどの事故が続出。

また暖房は車内で焚き火をして暖をとる、網棚に寝る[2]、出入り口が雪で埋もれれば窓から出入りする、などの惨状であった。

50系客車の登場編集

このどうしようもない汽車を置き換えるために、国鉄末期に登場したのが50系客車である。

自動扉を装備し蒸気暖房が全車に装備され、北海道では防寒のため窓が一回り小さい、51形が配置された。

これで本土並みのナウい[3]列車となり一安心、めでたしめでたし、のはずであった。

動力集中方式の退潮編集

しかしマイカーの普及と共に、道民は、雪に埋もれて死ぬ危険も顧みず、自家用車で行き来するようになる。

客車列車はワンマン運転が不可能であり、重たい機関車を支える道床は保守整備に手間暇がかかり、終点での機関車の付け替えにも時間と人手がかかるため汽車の本数は1日3回しかないなど、日本での客車列車の時代はすでに終わっていた。

その地獄に拍車をかけたのが、地獄の鬼、鬼の「動労」である。機関車を運転する機関士の大半が、この武闘派労働組合である動労に所属し、飲酒運転、信号無視、徹マン後の運転など、汽車旅をスリリングな冒険の旅にした[4]

気動車の運行は、当時、他組合が主力となっており、客車列車を駆逐してやる、とばかりに当局は各線区の気動車化を進めた。倒産寸前に、である。

新型気動車登場編集

 
この国鉄末期臭である

しかし、国鉄に、もはや気動車を一から製造する財力はなく、キハ40などは十分行き渡らず、車両が足りなくなった。

そこでJR北海道発足後に目を付けられたのが、50系客車であった。

道内のローカル線にはボロボロでサビサビの17系や20系気動車があり、これらは路線廃止により、もはや土に帰るのみの運命であった。

しかし下回りは、たった30年かそこら経っただけであり、これらを客車に据え付けて気動車に改造することとなった。キハ141系の登場である。

この気動車は、客車列車完全駆逐の願いを込めてPCD (Passenger Car Destroyer)と呼ばれた[5]。喪服姿の撮り鉄が、列車の運行そっちのけで場所取りをめぐって殴り合ったり、柵を破壊したり、一般客の迷惑も顧みずお別れの声をあげるなか、新形車両は徐々に北海道各地に広がっていった。

車両形式編集

 
キハ143形。外観上の変化に注目

4形式が登場した。改造元の客車はすべて便所付き・デッキ付き・非冷房車の「オハフ51」

この車両だけでこれだけ作れたある意味すごい車両である。

キハ141形

14両製作された札幌向きの車両。便所を運転台に改造したので運転中にもよおしても安心である。

キハ142形

15両製作された石狩当別向きの車両。便所がないため、連結幌には乗客の立ちションに備えトイレボールが密かに設置されていた。しかし大の場合は…

キハ143形

キハ141系グループの中で客車から大きな変貌を成し遂げたデッキなし冷房車。100番台と150番台の2タイプがある。100番台には便所は付いていないが、150番台には付いている[6]

札沼線部分電化開業に伴い、余剰となったキハ143形はワンマン改造を受けて2両1組という形で室蘭本線に転用された。

キサハ144形

4両製作された付随車。改造の際は座席も業務用室も便所もすべて撤去されていた。閑散期はレジャーシートを持ち込んで酒盛りやバカラ、チンチロリンをするのが日常で、夜行運用では寝袋がそこら中に広げられることとなった。わざわざ気動車に改造するはずなのになぜかエンジンが付いていない。苗穂工場のやる気が無くなったのだろうか。 と思ったら冷房化の際に発電用エンジンが載せられた。

運用編集

 
JR東日本での運行状況。塗色変更前。

札沼線などで用いられ、クマやシカなどを運び続けたが、同線の電化により現在は室蘭本線での運用が残るのみである。

沿線の過疎化で空気輸送状態が著しいJR北海道では、当車両をさらに改造した。

特急形気動車であるキハ283系の技術を参考に改良され、同車と同様の推進軸が設置された。これらは700番台に区分され、釧路、中標津、稚内、礼文島、奥尻島などへの路線へと投入された。

出発時に推進軸を接地させるユニークな機構[7]であり、接地と同時に車体が浮揚、保線担当者の悲鳴と共に大幅なスピードアップを実現した。

同仕様の改造後、JR東日本への譲渡も行われた。金満東日本では、C58蒸気機関車を併結して銀河鉄道の運行を行う。ミャンマーへの譲渡も行われ、主にバンコクへの国際列車としてナムトク線に乗り入れる運用についている。

脚注編集

  1. ^ 並行道路に着地するためスキーを履き、着地の際はテレマーク姿勢をとるのがコツであった。
  2. ^ 冬の北海道では、デコボコの圧雪上を疾走する夜行バスは、酷い縦揺れで一睡もできないのが普通であり、道東道や道央道が全通した近年まで夜行列車が多数走行し、寝台気動車まで登場していた。コイルバネの凍った客車が埋もれかけた線路の上を滑ってゆく壮絶な乗り心地であっても、まだバスよりはましであった。
  3. ^ 当然、昭和50年代に使われた本来の意味である。
  4. ^ いや国労のほうが酷かったという異論もあり、そもそも分割民営化自体が、社会党の支持母体である国労をぶっ潰すための自民党の謀(ry
  5. ^ しかし、客車列車の完全駆逐は、ずーーーっと後年の2016年であった
  6. ^ この気動車についての説明が載っている一部の本やサイトでは、100番台がトイレ付きで150番台はトイレなしという間違った説明が記されている。気をつけよう。
  7. ^ 元はドイツで開発された技術である。棒高跳びを参考に、高速で推進軸を突き車体を浮上させる。国鉄では当初DD54形ディーゼル機関車にて試みられたが、変速機ごとバラバラに吹っ飛ぶなど問題が多く短命であった。部品をばらまき疾走する姿は「闇の中につづく部品、夜汽車の壊れた部品、遠い街で故障する」などとドイツ民謡にも歌われた。ドイツではその後、機構を車輪に組み込むことでさらなるスピードアップを実現し高速鉄道にて応用された

関連項目編集

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  執筆コンテスト
本項は第34回執筆コンテストに出品されました。